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2013年3月の6件の投稿

2013年3月27日 (水)

そういや、知らないひとには何て呼びかけてるっけか。

朝の子ども番組で、ルルロロという、双子のクマの女の子のアニメをやってます。
4〜5歳くらいの設定でしょうか。
 
先日のお話は、双子がお使いを頼まれて、子どもたちだけで大丈夫かと心配になったおばあちゃんが二人のあとをつけていく、というものでした。
ハラハラしながら二人を見守るおばあちゃんは、自分の周りに注意散漫になって、自転車(車だったかも)や、ひと(クマです)にぶつかりそうになる。

で、そのたびに、見知らぬひと(クマです)に、
「おばあちゃん!」
と言われる。

もちろんこれは、「あぶないですよ!」ということなんですが。

最近読んだ本で、老女が見知らぬひとや看護師さんなどに「おばあちゃん」と呼びかけられることに不快感をしめす、そんな描写があったんです。
たまたまなんでしょうが、立て続けに、数冊そういうのが続いた。

それで引っかかっちゃったんですよねえ。
本で読んでいるときは、そういうもんか、という程度にしか思わなかったんですが。

で、たとえば自転車に乗ってて、ぼんやりしている歩行者にぶつかりそうになったら何て言うか。
私の場合を考えてみると、相手の年齢にもよりますけど、だいたいは、
「あぶない(です)よ」
が、せいぜいじゃないかと。

以前の私で、相手が子どもだったら、
「ボク!」とか、「おじょうちゃん!」だったと思うんですがね。
どうも自分にしっくりこない気がして、そういう呼びかけはしなくなった。
たしか、たとえば会社で知らない人たちが通路をふさいでいるとき、
「おじさん、通してもらえますか?」
とか、
「君たち、通してもらえる?」
とは言わないよなあって。
後者は、知ってる後輩なら「なに他人様に迷惑なことしてやがるんだよあぁん?」くらいの意味で使うでしょうが。
まあその、なんかそんなことを思ったら、ボクとかおじょうちゃんが自分にしっくりこなくて当然かな、と使うのをやめたんじゃなかったかと。

そう考えていったら、知らないひと(クマ含む)から「おばあちゃん」と呼びかけられるのは、なるほど不快なもんかもなあと、薄らぼんやりわかった気がしました。


それともうひとつ。
話はなんかズレますが。

ルルロロのアニメスタッフが、この「おばあちゃん」という呼びかけに意識的であったのかどうかは分かりません。
もしかしたら、十時間以上に渡る会議の末に、
「不快に思うひとがいるのは理解できるが、現実的にはこのシーンで「おばあちゃん!」と呼びかけるのが最も自然体に見えるし最適である!」
と結論づけて、「あぶないですよ!」ではなく「おばあちゃん!」のセリフを採用したのかもしれない。

けど、なんにも考えず、不快がるひとがいるということを知ることなくあっけらかんと「おばあちゃん!」を採用したのであっても、
結果の放送だけ見ると、どちらもおんなじである。
ということを思うと、うまく言えないけど、怖いような、悲しいような、やりきれないような気分になります。

この気分の正体は知っているつもりだけど、うまく言葉で説明できないうちは、まだまだだなって思うんです。
なにが、かもよくわからないけど。

本日も、まとまらないグダグダ話にお付き合いくださりありがとうございます。
ではこのへんでドロン。

2013年3月25日 (月)

ごめんね、でモノを買いあたえない。

先週末、バタバタしてて更新できなかったんですが元気です。
下書きはあるんです。健康ネタで書いてるんですが、大した内容じゃないのにうまいことまとまりません。
で、場つなぎに、さっき手帳に見つけた育児ネタなメモ書きを。
何かで読んだ、出典があるメモなのか、自分でふと思いついたのか不明。

 
 

子どもに、ごめんね、で物を買い与えない。
ひとに罪悪感を覚えさせると自分がトクするんだ、と学習させたくない。
さみしい思いをしたんだからおもちゃ買ってよ! みたいな。

そうじゃなく、なにか買い与えるときは、ありがとう、で。
ひとの喜びにつながることが自分の喜びにもなるんだ、という具合になったならいいな。

約束を守れなかったとき、その代わりになにか買い与えるのじゃなく。それでもなにか買い与えるときは、約束破ったときに我慢してくれたね、ありがとう、とか。なんかこう、そんな感じに。

 
俵万智の『たんぽぽの日々』を読み返しつつ。
初読では、グハァッ! と血ヘド吐く勢いで涙しちゃったもんです。

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2013年3月15日 (金)

術後、あいかわらず声が出にくい件。

今年になってからお会いした方々には、
「や、声出てたしwww 話したしwww」
と突っ込まれることは承知の上で。
 
 
いやあ、やっぱり声、出にくいんですよ。
もちろん手術後数日の酒焼け声に比べたらはるかに快復はしましたが、いかんせん、痰もなにもないのに、喉がふいに詰まる。
自分のタイミングで発話できない場合など、特にです。
 
例えばふいに後ろから声をかけられて、答えなければならないときとか。一言目はかろうじて話せても、その次の言葉で喉がつまる。
特に仕事では困ります。
対面なら、ちょっと待ってもらったりできますが、電話で問い合わせなんかを受けた日にゃ、
「ちょ、ゴメ、いま喉が詰まって声が出な……」
のジェスチャーが通じないし。ジェスチャーだから。
 
 
声が出にくいわけは、前に、甲状腺を摘出する際、私の神経が細いことが医学的に証明された、にもかかわらず、その話は誰もまともに聞いてくれない、とぼやいたあれです。
細い、といわれた神経は、声帯を動かす反回神経のことらしいんですがね。甲状腺がこいつをしっかり巻き込んでいたので、神経にもしっかり触らなければいけなかった。そのせいで、声帯に麻痺が残っているという。
 
声の快復には2~3ヶ月、6ヶ月かかる場合もある、と聞いていました。
最初は、ひどい鼾に悩まされました。
左側の声帯が麻痺しているんですが、寝るときに右側を下にすると、すーっと意識が遠くなると同時に、喉にフタが降りてくるのが、うすれゆく意識のなかで、わかる。
で、次にはゴゴゴゴー! という自分の鼾で目が覚める。
通常の鼾のような鼻じゃなく、喉で音が鳴ってるのも、わかる。
いつか窒息死しかねないんじゃないかって、正直怖くて必ず左を下にして寝るようにしてました。
 
それでも、いずれ治るさ、と呑気に構えていたんですけども。
 
最近になって、ふと上の子が、絵本を、『いっきょくいきまあす』を、読んでほしいようなことを、ぽつりとこぼしたんです。

これ、歌うんですよね。
熱唱したほうがウケがいいので、のりのりで神田川やら津軽海峡冬景色やらを歌って、子どもたちと笑いあってた、私もお気に入りの絵本。
 
それが、歌えない。
なんとか歌おうとしてみたけど、すぐにゴゴゴボッ、と咳き込んで喉が詰まってしまう。
 
声帯の麻痺がわかっても、自分でネタにしているくらいのほほんとしてましたが、はじめて、涙が出ました。
 
まだ悪性の結果が出る前のことですが、手術のことで、はじめて泣きました。
 
声が出にくくて、普通に話すことはできるようになっても、大きな声を出そうとすると別人のような怖いガラガラ声になる。そんなママに、子どもたちは「絵本読んで」をずっと言わずにいました。
それをいいことに、私は絵本どころか、下の娘に子守歌さえ歌うこともなくなっていた。
 
放っておいても治る、と言われたから、本当に放っておいたんですけど、そういうこっちゃないんですよね。あほです。
こんなことがあってようやく、リハビリというか、お風呂で歌ったり、なるべく声を出すように頑張ってみるようになりました。
 
 
そしたらば、発見したんです。
 
米良美一や秋川雅史のモノマネなら、わりといける。
 
ピンとこない方のために言いますと、もののけ姫とか千の風になってなら、めだかの学校よりも意外と歌いやすいということなんです。
つまり、テニプリのOP『未来の僕らへ』なら、♪奇跡舞い上がれ♪のあたりからどんどん歌いやすくなっていくんです。

 

 
こっちの方が余計わかりにくいですか、ジャンルを誤ってますか、育児ブログだってこと忘れてますか。そうですね。
や、あの、テンション間違えたなってのは、書きながら薄々気づいたんですけど、でも良い歌だなって、あの、うん。
 
はい、ともかくも、おお、これは! と思ったわけです。
これでいけるんじゃね!? と思ったわけです。

 
思いました、が。
 
……あんまし、汎用性は、ない。
 
というか、使いどころが見当たらないというか、これでいけるんじゃねって、どこへ行く気だというか。
 

仕事で電話応対を免除してもらってるので、試しに職場の上司に、
「こういうのなら電話に出られそうなんですが」
と、千の風にを披露してみました。
 
上司、
「いいんじゃないの、ワッハッハ」

 
……数分後、真顔で呼び止められ、
「さっきのあれ、本当にやるのか?」
 
本当にやりそうに見えたようです。日頃の行いの成果ですね。
大丈夫です、やりません。
 
 
米良美一のモノマネで問い合わせの電話対応に出たら、十中八九、「あ、間違えました」と言って切られるでありましょうから、仕事にならないし。
 
 
あ、肝心の、絵本については、神田川はわりといけたものの、まだ山本リンダどうにもとまらない、がうまくいきません。
引き続き、精進します。
わりと何でもいいんだ、子どもが笑ってくれたら。
 
 
 

本日は、やくたいもない話にお付き合いくださりありがとうございます。
 

 
なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる       西行
 
 
それにつけても藤澤ノリマサの声ってちょっとクセになる。
ではごきげんようごきげんよう。
 
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2013年3月12日 (火)

はじめの一歩。

毎度、ぐだぐだ垂れ流し話ですけども。

物理的なことなら、はじめればいつかはちゃんと終わる、
というのは、確か『人生がときめく片づけの魔法』で読みました。

やりはじめないと、やる気はでません、
というのは、どの本かは覚えてないけど、『海馬-脳は疲れない』の池谷祐二氏の著書で。

最近とみに、そのことを実感します。

子ども3人保育園、あたたかくなってきて外遊びが増えたらしく、洗い物が倍増。
毎晩、洗濯物の山を前に、つぶやくのですよ。

「物理的なことは、やりはじめれば必ず終わる……」

と。

それから上の子が小学校入学なので、お名前付け地獄も。
鉛筆一本一本、算数に使う小さなおはじきみたいなやつにも全部、名前。
保育園に入るとき、名前のゴム印を購入してあるとはいえ、その量にしばし見ないふりをしていましたが、こいつも着手したらば数時間で終了。

あ、やりはじめれば終わるんだ、とつくづく思いました。

 

で、そっかー、というわけで、
結婚して十年、アスペ夫のモラルハラスメントに何度も「生きていたいのに死にたくなる」という恐怖を味わってきましたが、
ようやく、

『アスペ犬の取扱説明書』

の作成に着手しました。



『アスペルガーですが、ご理解とご協力をお願いいたします。』の後半で、アスペ当事者と一緒にトリセツを作ってみましょう、というのがありまして。
実際この本を読む前から、夫に関してはトリセツが必要だなと思いつつ、なかなか取りかかれずに数年。
まあその、書き出してみたらばちっとも建設的でない恨みつらみで埋め尽くされたので、やめてしまった、ということもありましたが。
 
当事者と作る気は全然ないので、最近読んで、思った以上に面白かった『夫は犬だと思えばいい。』にならい、『アスペ犬』としてみたところ、
 
かなり実感に近いタイトルだったようで、少しずつではありますが、我ながらたいへん建設的な取扱説明を書き出し始めています。
 
やはりねえ、生きてるの、好きなんで。
今後も生きていくためには、夫の攻略が第一だなあと。
 
攻略といっても、夫を変えようなんてことではありません。
常々、ひとを変えることはできない、私が変えることができるのは、私自身だけだ、と思っております。

が、がんをきっかけにこれまでの生活を見直そうとしたとき、この信条は、アスペ相手にはただただ虚しいだけなのではないかと、まあ絶望しかけたんですけども。
 
そこまで沈み込んでようやく、「私が変わることでアスペ夫が変わってくれるかもしれない」というほのかな期待を抱いていたことを、自分で認めることができました。
そこんとこ信条に反するから、目をそらしておったんですけんど。
つい、実は、期待してしまってた。
 
そりゃあ、そんな無謀な期待しちゃってたら、絶望したくもなるよなあ。
 
と、考えを改めて、トリセツ、書き出してみたところ。
まだまだ私自身をいくらでも変えられる、それももっと良い方向へ変えていける、その余地が、なんとも広々とあったことに気付けました。
相手が変わるかも、なんて期待する必要がないくらい、私自身が、もっと良い方向へ、まだ行ける。
これだから、生きてるのは楽しい。
 
トリセツそのものは、一年かけて完成させるくらいのつもりでいます。
正直、物理的なものとは言い難い気がするので、『暫定版』の完成、ということになるでしょうけんど。それでも、やりはじめたので、やる気が出てきました。
公開できそうな内容だったら、いずれこちらで公開したいものだなと思っております。
つか、アスペ夫とかいうカテゴリー作ったほうがいいのかもしらんですが。
 

 
 
本日はお越しくださり抽象的なぐだぐだ話にお付き合いくださりありがとうございます。
ぶっちゃけ夫バレが恐怖。
 
 
何事のおはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる      西行
 
 
本日は、お天道様に合掌。







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2013年3月11日 (月)

禁酒、2ヶ月達成。次はスイーツ。

甲状腺全摘手術をきっかけに、禁酒して2ヶ月経ちました。ひゃっほう。

とりたてて禁断症状っぽいこともなかったので、つまらない話なんですけど。
まあ冷蔵庫をあけると目に付く缶ビールに、ぐらっとこなくなったわけでもないんですが。

このへん、やはり『禁酒セラピー』を読んだ甲斐があったというか。
それを飲んで良いことがどんだけあるかなって思うと、風呂上りの炭酸水(無糖)がうまいってなもんで。

2ヶ月禁酒したら、あとは解禁するつもりでしたが、酔っぱらって時間が無駄になることを考えると、以前のようには飲まないんじゃないかな、と思っています。
つか、多分がんのためには禁酒しといたほうがいいんじゃないかな。
今後は禁スイーツ、禁カフェインを2ヶ月ずつやっていきます。
2ヶ月、というのは、とりあえず2ヶ月やめると、禁断症状みたいなもんも抜けて、それを飲み食いしたときにどういうことになるかを自覚できる、それでもって自然と量を減らすことができるようになる、
……なんてのを、どこかで読んだんで。
やはし、永遠にダメ。絶対。 となると、ストレスが、ねえ。

そんなわけで、どちらかというと、こちらのほうがずっと差し迫った問題であったかもなんですが、
明日から、禁スイーツです。

がん細胞って、糖をもりもり食べるそうです。
悪性腫瘍という検査結果を聞いてから色々読んだ本のなかで、身に覚えのある記述がありました。
がん細胞が、甘いものを食べさせる、身近なひとが突然甘いものを沢山食べるようになったら、がんを疑え、と。
 
身近っつーか、うん、本人ですが。
昨年の、首のしこりに気付いた頃でしたか、むしょーに甘いものが食べたくて食べたくて、毎晩のように板チョコ2枚とかむさぼり食ってたもんです。
それでも体重が増えることはなかった。痩せもしなかったけど。
いま思うと、あれがそうかあ、なんて。
毎晩板チョコ衝動がおさまっても、ランチのあとはコンビニスイーツ、職場の引き出しにはドーナツやらクッキーやらのお菓子類は欠かさずなんて日々でしたが、それらもひとにあげたりして、処分終了。

 
 
そんなわけで、甲状腺のしこりは悪性腫瘍でした。
甲状腺の腫瘍は90%以上がおとなしいものだといいますが、わたしのは、おとなしくない、2~3%の方でした。
まあ幸いというか、たまたまというか、バセドウ病のおかげで全摘したので、あとは転移しているかどうかの検査です。
 
もともとは、右側にしこりができて、これが悪性だか良性だかわからないので、右側だけ摘出、が、全部摘出することになった。取ってみたらば悪性だった。いやあ全部摘出して良かった、
ということなんですけども、実に、実に、
 
わたし、いったい前世でどれほどすごい功徳を積んできたんでしょうか。
と思いました。
 
だって、最初は大学病院に行ってて、もっと早く、「半分」摘出するはずだったんです。
が、ちょっとまあ、だいぶ不安になることがあり、いまの病院に変えました。
いまの病院でも、やはり「半分」摘出と決まり、少しでも早く取ってしまいたいからと、9ヶ月待ちの大部屋ではなく、半年待ちの個室を予約。このとき、もっと早く取れるだろうA個室にはしなかった。
けど、バセドウ病を発症して「全摘」と決まったのは、手術の3週間前。
A個室だったら、「全摘」が決まる前に「半分」だけの手術をしていたでしょう。
 
当初は取る予定ではなかった左側、取ってみたらばこちらも腫瘍ができていたそうで。
 
なんというか、分岐点では常にベストチョイスをしてませんか、私。
と思ったわけです。
だって、これより早かったら、腫瘍を半分、首に残したまま「悪性」の結果を聞いていた。
ラッキーというよりか、そりゃもう八百万の神様、私、何かそんなに良いことしてきたんでしょうかと合掌するほかない。
あ、これからやれよってことなのかもですよね。はい。
 
それだもんだから、ここんとこ記事の最後で、唱えずにはいられなかったんでしょう、昔から好きではありましたけど、西行のこの歌。
 
 
  なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
 

 
なにによって生かされているのかはわかりません。
わからなくても、ただただありがたくかたじけなく思います。
 
 
さて、タイトルとかけはなれた話になったついでに、知り合いや友人ががんになったとき、これをちょっと読んでおいてもらえると助かるな、と思う本がありました。
 
 


がん患者に対してかける言葉について、ものすっごく「そうそう」と頷きました。
悪性のこと、内容が内容なので、仕事関係などで必要な最低限の人たちにしか話してないんですが、何より、これまで親しくしていた人にうっかり話して、
 
……なんか、慰められたりしたら、「心配してくれてるのはわかるんだけど、それ最悪のパターンを考えすぎだろ」とか、本人のがんではない、身内のがん体験とかを語られて「うっわ、うっとーしい」とか思ったり、しそーだなーって……わたしの場合。
やっぱり、本人のがんと、身内のがんでは、話が全然違いますからね。

だいたい、うんと穏便に、「大丈夫?」て言われたとしても、
大丈夫なわけあるかボゲェェェッ!
て答えるわけにもいかないし。
うん、ちょっとしんみり殊勝げな雰囲気かもしだしたあとだというのに、なんてサイテーなんだ私。
 
そんなわけだから、なんか功徳積んだのは前世の私なんだろうな、と思うわけです。
ああ、かたじけない。
 
 
本日はおこしくださりこんな話にお付き合いくださりありがとうございます。
ではごきげんようごきげんよう。
 

うーん、明日から禁スイーツかあ。



 

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2013年3月 3日 (日)

禁酒セラピーを読んでみた(2)

※ネタバレを含みます。『禁酒セラピー』読んでみようかな、と思う方は、後半にあらわれる「西行」以下は読まない方がよろしいかと。
というわけで。

「お酒はマズイものだ」、というのは、純米大吟醸の美味さを知っているのでどうにも納得できない。
だけど、「一口飲むと、お酒が判断力を鈍らせ、もっともっと飲ませようとする」、というのは納得できる。
 
弱りました。
純米大吟醸がすごく美味しいことを思い出したと同時に、それが悪魔の囁きでもあることを知らされる。
 
弱りました。
ああ~~~~~。
美味いんだよな。田酒。

以上、禁酒セラピー読んでみた(1)のまとめ。
 
 
そういえば、数回しか会ったことがありませんが、顔を見せる時はもれなく金をせびっていく父親から教えてもらった真実が、たったひとつだけあります。
 
 
   日本酒は 純米ならば 間違いない    父
 
 
 
うん、まあ、ぶっちゃけ純米なら何でもいいかっていうと、そうでもなくて、できれば吟醸、あと産地はちょっと選ばないと。純米だから何が何でも間違いないわけじゃない。
あれ、じゃあ別に父から学んだ真実ってわけでもないか。
長い前置きはさておき。
 
禁酒セラピーの内容、9割方は納得できました。
 
けど、お酒はまずい、というのが納得できない。(1)でも書きましたが、科学的に正しいかどうかなんてどうだっていいけど、それでも発酵したもの「だから」まずいというのがどうにもこうにも責任者を出せレベルで解せない。
 
しかも問題なのは、全部納得するまでは、最終章を読んじゃいけない、最終章を読み終えるまでは禁酒しちゃいけないという。
 
そこで。
大変暫定的な措置ではありますが、退院後、どーしてもお酒が飲みたくなったとき、手にしたお酒(だいたいは、第三のビールでしょう。買い置きしてあるから)をじっと見つめ、お酒が飲みたいのか、このビール(第三)が飲みたいのか。この味を楽しみたいのか。酔いたいだけか。酔ったあとの自己嫌悪や不快な症状、術後だというのに飲んでしまったという自分の体への罪悪感と引き換えにしても、その「味」や「酔い」は良いものか?
を、問うてみることにしました。
 
この本の狙いとはかなりズレた方法です。こういうやり方を推奨しているわけではまったくありません。念のため。
だけど、この本を読んだからこその、方法ではあります。
 
退院後、気がつくと、お酒以外の嗜好品についてもこの方法を使っていました。
そして、ほどほどの効力が。
 
コーヒーを飲むとき、チョコレートをかじるとき、
私は、純粋にこの味を欲しているのか? 楽しんでいるのか?
シチュエーションなどを楽しんでいるのであって、コーヒーもチョコレートなどの甘いものも、無くても楽しめるのではないのか?
と、自問してみるようになったんです。
 
すると、
ああ、なんか口寂しいだけだな、
と気付いたり、
子どもを寝かしつけたあとのリラックスタイムにはコーヒーって、言うよね?
という思い込みでしかなかったり。
あるいは、テキトーに入ったお店で、食べたいと感じるものがまったくなくて、仕方なくコーヒーと甘いもの、ということだったり。
 
思った以上に、自分の意志とは関係なく、外部要因で飲み食いしているんだということに気づきました。
 
職場で配られた土産物の甘いお菓子、甘いお菓子にはコーヒーが欲しくなります。そこは食物連鎖ですから仕方ありません。
 
逆に、リラックスタイムにはコーヒーだよな、という思い込みでコーヒーを淹れると、今度は甘いものが欲しくなります。食物連鎖ですから。
  
これまでは漫然とお菓子をむさぼり、漫然と入ったお店で「ここのコーヒーはいまいちなんだよな」と知っていつつも、コーヒー以外の選択肢を考えませんでした。
それが、まず「私はこのお菓子を食べたいの?」「いま欲しいのはコーヒーの味?」と自分に聞いてみるようになった。
  
これは、本のおかげかそれほど億劫でもないんです。よくわからないときは、お腹に手をあて、改めて聞いてみる。すると大抵わたしの体からは、
 
「や、うーん、別にそういうわけじゃないんだけど……」
という、もごもごした返事。
じゃ、今日のところは、やめといてみる?
  
そうやって、最初の甘いものやコーヒーを止めると、食物連鎖の罠にはまらずに済むのです。
 
ちなみに、「カレーのあとのコーヒー」「飲み会のあとのミスド」という食物連鎖も存在します。

うん、食物連鎖じゃないですね。違いますね、知ってます。
 
 

まあ、そんなこんなで、
風呂上がりはビールだよね?
からも解放されて2ヶ月弱。
 
アルコールは、コーヒーや甘いものよりもちょっと強敵で、ストレスという負荷が急激にかかったときなんか、つい負けそうになる。
 
それでも、冷蔵庫から缶ビールを取り出すのが、家族への、
「イライラしてるの! 酒飲まなきゃやってらんないくらいイライラしてるの!」
というアピールであって、アルコールそのものを欲してはいないんだと気づいたので。
 
例えばこんな雨の降る肌寒い日は、あったかいココアなんかが似合うよなあみたいな、あるいは、カフェじゃなく喫茶店で、文庫本の友はブレンドだよなあ、ハードカバーならカフェオレだなあ、とか、
飲みたいかじゃなく、なんか良い感じかもうっとり、ということもあります。
 
体は飲みたいと言ってないのを自覚のうえで、
よっしゃ窓辺でココアのカップ抱えてアンニュイ気取るどー!
なら、それで問題ないと思うんです。
 
が、自覚したとたん、あ、やめとこ、と思えるなら、体の声優先に聞いてみる。
ねえ、いま、なに飲みたい?
 
最近の私の体は、だいたいこう答えるんです。
 

 
「お湯」
 
 
マジで。
 
お湯が飲みたいなんて、風邪で具合悪いMAXなときの嗜好ですよ。
そりゃ確かに実際のところ、元気パンパンとは言えないんですけども。
 
……随分とわたしは、自分の健康状態を過信し、無理していることそのものにも気づかないで、ここまで来たようです。
 
いい加減気づけよと、体が贈ってくれたメッセージを、今は真摯に受け止めて、今後は生きていきます。
と、しみじみ宣言してみる。
 
 
本日はおこしくださりありがとうございます。
 
 
 
なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる    西行
 
 
 
 
 
 
 
 

 
あそうそう、禁酒セラピー、ズルして最終章は入院中につい読んでしまいました。
 

それによりますと、禁酒前に、最後の一杯を飲み干すという儀式がありまして。
しかも、これは一番不味いと思う酒を選べと。
 
 


…………。
 
 

……………………。

 
 
………………………………。
 
 
…………………………………………。

 
 
あぁ!? 冗談じゃねえぞそんなの!!
 
最後の一杯なら純米大吟醸山廃仕込みを飲ませろっつの!!

 
 
個室だからといって、つい不用意に叫んでしまった、入院中の昼下がりのことでした。
 
全て納得するまで読んじゃいけない、というのもやはり理由があってのことですね。納得。
 
読むんじゃなかった。
 
 




 
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