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2013年10月の3件の投稿

2013年10月23日 (水)

『内田樹による内田樹』読みかけ

テクストはそこから叡智を引き出すことを切望する個人の「懇請」によってはじめてその意味を開示する。(p150)

読みかけです。
内田樹氏はそういう意図で書かれたのではなかろうと思いつつ、連想したことをつらつらと。

 

本を開くと、そこにはユニコーンがおり、魔女が鍋をかきまわし、竜が空を駆け、巨人や小人が暮らしている。
……いったい、本を閉じている間、ユニコーンたちはどうしているのだろう?

 

エンデの『はてしない物語』がとても好きです。
映画と記憶がごっちゃになってますけど、たしか主人公のバスチアンが、本を前にそんなことを思う場面があったような気がします。もっと短い台詞だったけど。

はじめてこの箇所を読んだとき、本好きの私には、ものすごく、泣きそうなほど良くわかる感覚でした。
十代の小賢しい時代には、この疑問に科学的(と思われる)解を見つけようと躍起になったこともありましたけど、

もしも自分の子供が、いつかこの問いを、私に問うことがあったなら、ただ、

 

そうだねえ、どうしているんだろうねえ。

 

と、一緒に不思議がろうと思っています。
あのね、言葉での問いに、言葉で答えなくてもいいの、
なんてことを教えてくれたのは、たしか谷川俊太郎氏でありましたが、この問いは、答えを求めることではなくて、問いを抱き続けることにこそ解があるように思います。

人によっては、あまりにとんちきな問いでしょう。
本を開いても、そこにいるユニコーンは動かず、魔女の鍋は沸かず、空には身をくねらせる竜の姿はなく、巨人は人間を喰らわない。(違
同じ本を開いていても。
 
冒頭に引用した箇所で、『はてしない物語』を連想したのは、そんなわけであるようです。
 
 
 
ところで私には三十年来の友人がいましたが、結果的に悪性腫瘍だった手術の際に、彼女に投げかけられた言葉がきっかけで、ずっと距離を置いています。
 
  
物理的にも遠く離れ、子供をもたない主義の彼女とは、価値観のズレが趣味嗜好にまで現れ出し、数年ぶりに会えたときでさえ、過去の思い出のほかに話題が見つからない状態でもあったので、もうこのまま、離れていくのだろうなあと思っていたところでしたが、
 

十代の頃、この問いを、彼女と一緒にしみじみと不思議がったことを思い出しました。

 
ふいに転がり落ちた、ソウルジェムのようなその思い出を胸に、もう一度、彼女に連絡して見ようかと思っています。
 
 
 
 
あ、ところで「ソウルジェム」のことを、スピリチュアル系のなにか素敵な言葉だと思って検索されたら申し訳ありませんです。
あまりおおっぴらにしてませんが、この育児ブログ、オタク主婦のカテゴリーに参加してるんですよねえ。
さあ、
僕と契約して、オタク主婦になってよ!
(◕‿‿◕)
 
 
本日は、こんなところへご訪問ありがとうございます。

 
  何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる   西行

 
 
 

 

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2013年10月19日 (土)

重たい話@ほぼ日手帳カズン

来年のほぼ日手帳が発売されましたね。
4月始まりユーザーですが、新しいカバーのラインナップに今からどれにしようか悩んでおります。
つか、これが4月始まりユーザーのしんどいところ。
新しいカバーが先にほしくなっちゃう。
 
長いことオリジナルのサイズを使ってましたが、今年度からカズンでした。
使用感を日記に書く書く言って、今日にいたる、書く書く詐欺を続けておりましたが、
あの、ほら、
便りの無いのは良い便りって、言うじゃあないスか。
 
来年度も、カズンにします。
 
そんな、今更ですが、カズンの使用感。
長くなりましたんで、今回は重たい話を。
ええ、なんとなく見当はつくでしょうけども、物理的に重たい話。
 
ええ、重いです。
 
そりゃ、わかってたけど。
とにかく重い。
言うまでもなく重い。
なにしろオフィシャルで「置き手帳として」使うよう勧めてるのも納得の重さ。
カズンのために、通勤の皮リュックを軽いトートバッグに買い替えたぜひゃっほう。
 
ともかくこの重さは、今後体力をつけたい私の持ち歩きウエイトということにでもしておかないと、うっかり誰かが
「あ、荷物持つよ」
と、ちょい持ちしてくれた際に、十中八九、
「……何が入ってるの?」
と言われること間違いないです。つか聞かれた。へどもどしてしまった。ナイスな切り返しをゆるく募集。
それでも、持ち歩かないで置き手帳に、という選択肢は無いんです。
 
なんて言いつつ、子連れで出かけるときには、基本、手帳は持ちません。
次回の予約をとる必要がある、と判っている通院などは別として、あんまり子供たちと出かけた先で手帳を開くことってない。
というより、開く余裕が、ない。
荷物が重くなければ手帳は持ち歩きたいんですけどもね。子連れというのは何かと荷物が多いですからしょうがない。
 
実をいうと、私はもとから荷物が多くて重いです。
そもそもが、最初にほぼ日手帳のオリジナルを使い出すときだって、重いなあ、これ以上荷物が重くなるのもなあ、と悩んだものです。
 
そこでとにかく手帳以外の荷物を減らして軽量化をしました。いま、眼鏡とコンタクトレンズとメイク道具を持ち歩いていません。
通勤時に読む本は、常時1冊までとした。
はい、当たり前だとかいうツッコミはあーあー聞ーこーえーなーいー。
 
まあファンデは就職したばかりの頃にぶつぶつが出て以来ずっと使ってなくて、日焼け止めにお粉とチーク、あと眉毛に口紅、という最小限の、メイクらしいメイクなんぞしてはいなかったんですがね。日焼け止め以外は持ち歩いてたんです。
カズンにしてから、眉毛と、使い残りの口紅をドライヤーで溶かしてハチミツを混ぜたものをグロス代わりにして、文房具を入れたポーチに一緒に放りこんでいます。ハチミツを混ぜるというのは確か、美輪明宏氏の本で読んだような。いや、中原淳一だったかしらん。
 
とにかくそれほど、重くても持ち歩きたいんだ、子連れの時は別として、という意気込みが伝われば幸い。
重さを理由に、来年度はオリジナルに戻る、ということは考えていません。
 
だってね、カズンのなにが良いって、
この一冊に、マンスリーもデイリーも、ウィークリーもある、というのが、
 
 す ー ご ー く ー 良 ー い ー 。
 
どんだけ良いかは、改めて、使い方などの話で。

本日はご訪問ありがとうございます。


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2013年10月10日 (木)

『人間失格』

私は、その文庫本の表紙を、三種類、見たことがある。

一つは、天野喜孝氏のイラストであった気がするが、そうではなかったかもしれない。色彩は美しいが素っ気ないデザインのものであったかもしれない。
いずれにせよ、手元にはないうえ、密林で検索をしてもそれらしき表紙が現れないので、その一冊を見たことがあるし、蔵書として持っていた、ということそのものが、記憶違いであるかもしれない。

二つ目は、小畑健氏のイラストで、当時デスノートにかぶれていたし、ヒカルの碁にもかぶれたことのある私は、書店でその表紙を見るなり、一も二もなくひっつかんでレジに差し出したのである。

もちろん私は、家に帰ればまったく同じタイトルの文庫本が、私の書棚におさまっていることを覚えてはいた。それにもかかわらず、私に迷いは無かったのである。
 
最後の一つは、最も悩んだものであった。
断捨離や人生がときめく片づけにかぶれた後であったから、蔵書にそれは一冊しかないはずではあったが、天野喜孝氏と小畑健氏のどちらかを断捨離できた気がどうしてもしなかったのだ。
これを買えば、三冊目になるやもしれない。
それどころか、この表紙の写真(つまり、三冊目の表紙はイラストではなかった)は、私の好きな梅佳代氏の写真であることは間違いないが、しかし購入済みの写真集『男子』の中の一葉であるようにも見える。
写真集で持っているというのに、その表紙目当てで三冊目を購入するのは、いかにも愚かなことに思えた。

私は、つくづくその表紙の写真を眺めた。
白いシャツに黒い半ズボンとランドセル、白い通学帽を「顔」に被って何かのポーズを決めている四人の男子。
アホである。
私はこの表紙を見て、眼をつぶる。既に私は、この本の内容を忘れている。この本にかぶれた先輩のことは思い出す事ができるけれども、この本の主人公の印象は、「なんかおっさんくさい名前だった」以外、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。



うん、つか、読んでないのかもしれない。
三冊も買ったのに。

さあここまでお付き合いくださりありがとうございました。
表紙にほいほい釣られて『人間失格』を三冊も買いましたよという話です。
や、ちゃんと期間はそれなりにあいているのですけどもね。
一冊目が天野喜孝氏だった、というのは、これは本当に、芥川作品との記憶違いかもしれません。

本が好きです。
今のところ、紙が好きです。電子書籍には手を出していません。
もう可能になっているのかもしれませんが、電子書籍が、ぱらぱらっとめくることができたり、ページを折ったりできるようになったら、手を出すんじゃないかと思います。
あ、ページを折るのは、角を三角にではなく、縦少し斜めに折って三角がちょっと上からのぞくように折る方が好きです。キャットイヤーとかドッグイヤーとかいうんでしたっけか。ですので、ページ折り機能はどちらか選べるようになってるといいですね。

それにつけても、内容は同じなのに表紙が違う(出版社が違う)だけで、文庫本とはいえ何冊も買うなんて、と正気の沙汰とは思われないことでしょう。
私も以前は、そう思っていました。表紙に左右されちゃいかんぜよと。

が、その表紙にインパクトがあって、内容にうまくはまると、以前に読んだのとは違う角度から光をあてられたような、
そも名作というのは、読み手の成長に応じて違う姿を見せてくれるものだと思っていますが、表紙はさらにまた違う姿を現わしてくれる触媒のような存在たりえるのかもしれません。

つか、違う姿どころか、以前に読んだときの記憶がないんですけどね。

小畑健氏の表紙は、本文冒頭、二葉目の写真を彷彿とさせるものですが、この学ランの、ひとをゾッとする笑みを浮かべた青年をこの本の主人公と想定して読むのと、
梅佳代氏の表紙の、半ズボンの少年(彼ら的にはキメッキメなんであろうポーズをとっている)のうちの誰かがこの本の主人公であると想定して読むのでは、
いずれも昔読んだ時とはまったく違う読後感が得られるのではないかと、想像するだに楽しいのですけども、

ああ、まあその、昔読んだはず、というか、やっぱり覚えてないんですけどね。

いいじゃないか、きっと二度美味しいよ、というわけで、手元に二冊あります。
『人間失格』。

どっちから先に読もうかしらん、と二冊並べて撫でまわしておりましたらば、角川文庫のほうがちょっと小さい事に気付きました。
それとも汚れなどのために天地をちょっと削ったりするとかいうアレですかね。

なんてなことを考えながら、天の部分を指でなぞっていたら、思い出しました。

私、新潮文庫が好きなんですよねえ。しおり紐がついてて、天がギザギザしてて。
あの、天が平らじゃないところが、なんだかたまらなく好きなんです。

あ、手元にある『人間失格』は、角川文庫と集英社文庫です。


…………。


………………………………。


………………………………………(検索中)………………………………うん、
 
 
そりゃあ、ね。
新潮文庫にもね、ありますよね、『人間失格』。


そうですよね、うん。そっかあ。うん。


えっと、じゃあ、とりあえず、



電子書籍には、新潮文庫の天部分の触り心地が再現されたら手を出そうと思います。

ええ、新潮文庫の『人間失格』につきましては、林田球氏の表紙で発行されたりなんかしたらビタ一文の迷いもなく購入しかねないので何卒よろしくお願いします。



と、いうわけで、本日は、本日もオチのない、こんなところへご訪問ありがとうございます。
まあ十代の頃にあまり太宰を読まなかったのは、おのれの中二病がイグナイトしかねない、と思ったからなのですがね。
代わりに萩原朔太郎でイグナイトしてた。








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