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2014年11月 1日 (土)

暗殺教室 第112話『2周目の時間』読んだら通勤電車で鳥肌たった。

当初(10月21日)のタイトル:暗殺教室 第112話 2周目の時間

 
毎週月曜日、通勤電車で読んでいる週刊少年ジャンプで、
 
ふおおおおおおお……
 
と、口からうめき声が出そうなほど秀逸な喩えに震撼し、
ともかくも、当該のコマをこちらへご紹介したのでした。 

Korosense
週刊少年ジャンプ2014年47号
暗殺教室
第112話 2周目の時間
松井優征:作
 
 
親が果たせなかった夢を、「この子のためだから」とおっかぶせるパターン。
小説でもドラマでもマンガでも、よく見かけます。
 
母親が入れなかった大学に入り、
入社できなかった会社に入り、
自分の娘時代には許されなかった、
オシャレを楽しむことや髪を伸ばすことまで、息子に果たさせようとする。
(息子に。女子に見えちゃう設定でも、息子に)
着飾らせることはさすがに諦めてはいても、
(でも鏡の前でワンピースをあてさせたりする。息子に)
長髪は、強いる。
 
そういう状況を、
 
僕の人生の主人公は僕じゃない
 
僕は…
RPG「母さん」の2周目だ
 
 
あ、
 
うわあ、そうだったのか。
RPG2周目!
 

子どもは親の、RPG2周目。
そう考えた途端、親になってもまったく理解できなかった、
物語ではよく見かける「こういう親」の考え方が、
スコーン! と分かったような気さえしました。
 
RPGやったことのない方に、ざっくりざっくり説明しますと。
プレイヤーはゲームの主人公として、その世界で経験値を積み、
成長して、ついには最後の敵を倒してゲームクリア。
が、たいがいそれでおしまいではなくて、
その最初のプレイで積んだ経験値やらを引き継いだ状態で、
再度ゲームをプレイできたりするんですね。
それを「2周目」と呼んでいる、と思っていただければ、この記事の範囲内では、
おおむね間違いないかと。
そして実は私が、RPGはテーブルトークから入った世代であることは内緒だ。
 
さておき。
最近のRPGにおいては、1周目を経たプレイヤーは、
ゲームの展開を知っているし、経験値も積んだし、
1周目よりラクに2周目のゲームをクリアできる、というのがまず前提。
 
この母親。
あたかも息子の人生が自分の人生「2周目」であるかのように、
自分はクリアできなかったミッションであるところの、
志望校合格とか、希望する会社に就職するとか、
髪を伸ばして着飾ることまで、
息子がクリアすることを望んで、強要します。
一度人生を失敗している親は、
失敗しない人生を子どものために導いてやることができるから。 
子どもに1周目からプレイさせるよりは、
親の2周目としてプレイしたほうが、ずっとうまくクリアできるから。
 
 
正直、最初にこのコマをアップしたときの私は、

100パーセント子ども側の目線で、
……うげげげ、こういう親ってまだいるのかなあ、つか、実在するのかなあ、それにつけてもなんて的確な喩えなんだ、
という気持ちでした。
 
子ども側だったときの記憶を掘り起こすまでもなく、言いたいことは色々あるわけですよ。

だって、
失敗したから次はもっとうまくやれるって理路、おかしくね?

 
たとえば麻雀で、

さっき点箱スッカラカンにしてた先輩が背後に貼りついて、肩なんかガシッとつかんでくれちゃって、
「ぃよーっし、オレの言うとおりに打てよ! オレの言うとおりにしてたら絶対勝てる!」
とか言い出したら。
……あ、先輩、あっちで呼んでるみたいですよ?
とかいってやりすごそうとしませんか。
どっか行ってほしいでしょうよ。
ボードゲームの人生ゲームで最下位だったやつが、
「もう一回! もう一回やったら俺、嫁も子どももできる気がする!」
て言い出しても、
「そうだね! きっと次はできるよ!」
て言ってやるほど私は優しくないですよ。

 
親がこれで成功したから子のおまえも、というパターンにしても、

そも親と子ではスペックが違うんじゃねいのー、と思ってしまいます。
外観や性質に類似点を見つけていても、
そんなもんは赤の他人同士である男女が、
「キミとボクは、どこか似てるね(はあと)」
とかいうのとたいして変わるところがなかろうと思うのです。
 
なにより、仮にスペックが酷似していたとしても、
生まれ育った時代が違うじゃないかと。
いま中坊やってる子と、バブルでうひょひょしてた世代と、
価値観、成功の色形が、同じだとは思えないんです。
 

え、さて。
 

とまあ、そんなことをいつものようにダラダラ下書きしておりましたらば、
 
ふいにわいた考えに、
自分で怖気をふるいました。
 

こんな考えです。
 

この母親にしても、自分の母親から、
こうして親の2周目としての人生を強いられてきたのじゃないかって。
そういや、親にオシャレすることを許してもらえなかったとか、そんなセリフがあります。
 
で、それはつまり、どういうことかというと。

 
こうして、
「うへえ、こんな親ホントにいるのかよ、まっぴらだなあ」
なんて呑気に書いてる私自身もまた、

「こんな親」になるかもしれない、ということです。
 
無自覚に。

それゆえ一層救いがたいほど最悪に、
「私はああいう親にはならないから。これは子どものためだから」
なんてニコニコして、
ああいう親になっていくかもしれない、
もしかしたら、すでにそうであるのかもしれない、
ということです。

 
現時点で私は、自分の人生1周目を、
失敗したとは思っていないんです。
むしろ、
かなり・うまく・生きた
とか思ってます。
や、つか、1周目とかじゃねえし。
まだ何にも終わってねえしラスボス戦突入してねえし何言ってんの? 
てなもんですが。
 
だから有り得るパターンとしては後者の、
私はこれこれこうしてきて今現在は幸福だから、さあ、子どものおまえも、
……なんてのに、陥っていやしないかと。
 
いま小学生の娘に対して、私は無意識に、無自覚に、
ママのいうとおりにしてれば間違いないのよ、
というメッセージを発していないか。
 
なにしろそれは「無意識」で「無自覚」なのだから、
 
「発して……いないか?」
 
なんて眉間にシワ寄せてゲンドウポーズで己に問うてみても、答えは返ってきません。
焦燥感が増すばかり。
 
それでも、問い続けていれば、いつか子ども達が選ぶ人生が、その答えになるはずだと、
それまでは、たまにゲンドウポーズとりながら、問い続けていこうと思うのです。
 
だから、この記事の下書きは、Evernoteの「また読み返す」ノートブックに入れとくのです。そうだEvernoteの記事も書きたいのですが、
次回は、佃煮と漬け物ばっかのお弁当の話です。
 
今回は(も)、特にオチがありません。
ご訪問ありがとうございます。
 
 
※この番組は再放送です。 
ゲンドウポーズのリンク先をご覧になって、
「この件を考えるポーズとして不適切ではないか」
というご指摘は受付を終了しております。
(番組じゃないだろ、というツッコミも受付を終了しております)

 
 

   何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行
 
 
 
 

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