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2015年2月の6件の投稿

2015年2月24日 (火)

ほぼ日手帳カズン、分解したった。

ほぼ日手帳カズン、分解したった。
あー……。

小一時間前に、
まだ分解しない、
なんてなことを書いたような気がしますが、
やってしまいました。

詳細はまた後日。

関連記事:

2014年10月13日 (月)ほぼ日手帳カズンを分解、やってみたらばあっけなくキレイにできてしまったので正直、動揺している。

ほぼ日手帳カズン4月はじまり。

ほぼ日手帳カズン4月はじまり。
届いたどー。

分解は……しますが、もう少しこのままで、
愛でておこうとおもいます。

『学糾法廷』第11話の半端な推理を書いてみる。

『学救法廷』第11話の半端な推理を書いてみる。
まあその。
前回の『嫌われる勇気』感想が気恥ずかしくなってきたので、
ちょっとジャンプの感想でもはさんでおこうかしらん、というわけです。
新連載『改造人間ロギイ』の主人公が、
私すら知らなかった私の好みを射抜いたせいもありますが。
なにこれカコイイ。

それはさておいても、
『学糾法廷』は毎回推理が当たらないのが悔しいのです。
ならいっそ、晒そうかと。
ほら、書いたり人に話したりすると、
思わぬ発想が浮かんだりするじゃありませんか。

というわけで。
『学糾法廷』第11話 民事裁判編①ー推理編ー

夜盲末成が「何年か前から脚光を浴びるようになった」というのは、
おそらくゴッホちゃんの絵を盗用、夜盲名義で発表した、
てことで間違いなかろうと思うんです。
盗作されたゴッホちゃんが夜盲に、
一番弟子にしてやるから、
とかなんとかで言いくるめられたか、
あるいは弟子であるゴッホちゃんの絵を、
夜盲が勝手に自分名義で発表したか。
p258は、その暗示であろうし、
「特に最近は なかなか
 自分の絵が 描けなくて」
というセリフは、
師匠の夜盲のために絵を描かざるをえない状況を、
ほのめかしているんだと思います。

がしかし。

それと「大地(ダビンチ)くんと高須(ピカソ)くんの絵が激似」
からの、盗作疑惑、図工著作権訴訟に至る筋道が見えないんですよねえ。
ゴッホちゃんとの関連が見えない。

しいていうなら、
ピカソくんはゴッホちゃんを師匠とあがめ、
その絵は師匠のものに「どことなく似ている」らしい。
一方ダビンチくんは、別の先輩の弟子。
しかし一ヶ月前から筆のタッチが似ているとか、
盗作疑惑が始まって、3作目で「ほぼ丸パク」に。
これは、ダビンチくんの絵が、ゴッホちゃん(ピカソくん)側に寄ってきたということではないかと。

回想シーンではゴッホちゃんが、ダビンチくんのことを、
「ビン… 大地君ったら…」
と、下の名前で呼びかけて名字に言い直します。

なにかあるフラグですね。

ダビンチくんが意図的に、
ピカソくんの下書きを盗み見るかなにかで、
丸パク、というような絵を描いたのかなと。
そして学級会で著作権訴訟を起こし、

……うーん。

ダビンチくんが、絵を搾取されているゴッホちゃんのために、
今回の盗作疑惑を自作自演したとしても、
それがどうゴッホちゃんの救済に関連付くか見えません。
この筋は、ないか。

するとあとは、ゴッホちゃんが怪しい。

ダビンチくんとは親しい(が、隠してる?)らしいので、
ゴッホちゃんが、ダビンチくんの下書きを見た。
ピカソくんがそれと同じ絵を描くよう、
モチーフとか配置とか、アドバイスを装って、誘導した。
そんなことが可能かどうか分かりませんが。
それよか、そんなことして、ゴッホちゃんは何の得があるのか。

半端な推理のまとめとして、

・ゴッホちゃんは恐らく、師匠の夜盲に絵を盗用されている。
・その心の闇と、ダビンチくんピカソくんの盗作疑惑は、たぶん関連している。
・肝心の、そのつながりが見えない。

推理として、全然だめじゃん。

というのがよく自覚できたところで、
本日はこのへんで。
ごきげんようごきげんよう。

2015年2月19日 (木)

『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない~

♪ありのままの姿見せるのよ♪
と歌いながら宮殿にこもった彼女は、
どうやってありのままの姿を見せたのか、
疑問なのです。
ニコ生かしら。それともやっぱりyoutubeかしら。
 
え、さて。
アナ雪ファンが後足でかける砂を雪のように浴びながら、
私の研究室へようこそ。
 
研究室はうそです。
『嫌われる勇気』は、哲人がだいたいこんな感じで、
血気盛んな青年を迎えて対話を始めるところから始まります。
 
うそです。
アドラー心理学を説く哲人と、それを論破せんと訪ねてきた青年の、
対話形式である、というのは、本当です。
 
では早速アドラー先生にレリゴーを歌っていただく前に(歌いません)
ちょっと私の立ち位置を、あらかじめ明らかにさせてくださいませ。
読み飛ばされても問題ないです。
 
 
「ひとは誰でも幸福になれる」という哲人の主張に、
「嘘だ!」とやってきたレナ青年、かれは私の立ち位置ではありません。
かといって哲人の側でもありません。
 
私の立ち位置は、本書で2度だけコーヒーをお給仕する、
家政婦の悦子さんです。
哲人が青年にコーヒーをすすめるシーンは2回ありますが、
悦子さんは登場しませんよ念のため。
 
高校生のとき、私は論理療法に出会いました。
論理療法の創始者エリスは、アドラー心理学の影響をうけたそうです。
四半世紀のあいだ私は、論理療法という温かな泉に、
どっぷりつかって♪ババンガバンバンしてきたのです。ア、ビバノンノ♪
 
そのためか、アドラー心理学の本を読むのはこれが初めてであるにも関わらず、
内容の4分の3は、既知の事項に感じられたのでした。
 
つまり私は、アドラー心理学の初心者でありながら、妙に知ったような顔で、
上流階級の欺瞞を暴露する悦子さんなのです。
 
いえ、特に本書では暴露すべき何事も起こりませんが。
しいていうなら、p115で、哲人が唐突に青年を、
「かけがえのない友人」と呼び出すのが怪しいです。
何らかの下心を感じます。
 
 
 
【アドラー先生は、マン・イン・ザ・ミラーを歌う(かどうかは分からない)
 
さて、悦子です。(違います)
 
『嫌われる勇気』は大変面白く(ゲラゲラ笑った)
思うこと、書きたいことは山ほどありますが、
ここでは「自己受容」「課題の分離」「目的論」に絞って、
いつもどおり絞り込んでない、だらっとした文章でつづってまいります。
(絞ってないのか)
 
 
わりと後半のことですが、哲人は、
ありのままでいい、
と、うっかり言っちゃってます。
 
悦子さんとしては、「あらまあ!」です。
哲人も、ああ見えて結構そそっかしいのね。悦子です。(違います)
 
いや、だってね。
 
今どき「ありのまま」なんて言ったら、レリゴーだと思うじゃありませんか。
ありのままでいいのって、少しも寒くないわつって、
扉バターンしちゃうじゃないですか。
 
ですから哲人、さすがに注釈を加えます。
哲人が言わんとしている「ありのまま」とは、自己受容であると。
レリゴーは自己肯定であって、自己受容とは違うと。
レリゴーは言ってません。
 
つまり、自分とは、いまここにある自分でしかないという、
その認識から始めようと。
自分が変われば世界は変わらざるを得ないのだ、
さあ、鏡に映る、このパッとしない自分から始めよう、と。
 
それではここで、アドラー先生に歌っていただきましょう、
マン・イン・ザ・ミラー
プォー!(マイケル)
 
いや、でもp212の「誰かが始めなければならない」なんて、
 まさにマンインザミラーじゃないすか、って思うのですよ。

 
 
 
【嫌いな人から嫌われたくない不思議】
 
ずっと疑問でした。
 
どうしてそんなに、嫌われるのを恐れるのか。
嫌いな人からさえも嫌われたくない、
そんな無謀な望みが、叶えられないからといって、
なぜ腹を立てるのだろうかって。
 
 
あるとき知人が、憤然として言いました。
 
「○○さん、私のことを嫌ってるんだって!」
 
あれ、○○さんて、あなたが嫌ってる人じゃないすか。
じゃあ別に嫌われたっていいじゃないですか。
 
「あの人に嫌われる理由なんて、私にはないもの!」
 
えっと、でも、自分のことを嫌ってるってだけで、
あなたを嫌う理由には足りるんじゃないでしょうか。
 
……睨まれました。ごめんなさい。
 
 
またあるとき。
別の知人と、つまらないことで口論になり、
先方の捨て台詞が、
 
「俺はな、おまえのことが大っ嫌いなんだよ!」
 
つい、笑顔で、
 
「よかった、私もだよ」(本心)
 
目に見えて、先方の顔が「グサッ」て言いました。
 
聞いていた周囲は、私に非難ごうごうでした。
 
「ひど~い」
「鬼だな……」
「おまえ、毒吐くにもほどがあるだろー」
 
えええ?
 
 
えー……
 
事程左様に、
自分が人を嫌うのはしょうがないけど、
人から嫌われるのは我慢がならない、
というのが、おそらく一般的なのではありますまいか。
哲人のもとを訪れた青年も、
人から嫌われたくないのは当然であると主張します。
 
それだからこそ、『嫌われる勇気』というタイトルの本が、
売れるのではありますまいか。
 
嫌いはするけど、嫌われるのは、耐えられない。
耐えられない苦しみに立ち向かう勇気を、とかなんとか。
 
でもね。
 
 
【『嫌われる勇気』が腑に落ちれば「嫌われる勇気」が意味不明になる@課題の分離】
 
嫌うのは先方の側のなんやかんやであるからして、
こちら側でどうこうできるもんじゃありゃしません。
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
おそらくはこれが、哲人が言うところの「課題の分離」ではないでしょうか。
 
『嫌われる勇気』とは、「嫌われる」、つまり先方が私のことを嫌うのは、
先方の心に起こることであって、私がコントロールできることではない、
と認める「勇気」の話ではないでしょうか。
 
実際、嫌われるかどうかは、私には関係ない、
それは私の課題ではない、と納得してしまった後では、
「嫌われる勇気」は意味不明な言葉に変ずるはずです。
「あのラーメン屋に行列ができる勇気」みたいな。
 
あのラーメン屋に行列ができることと私の勇気は、関係がないのです。
 
そりゃまあ、吹く風と桶屋の増収くらいには関係あるかもしれません。
あと悦子さんの得意料理はチキンラーメンです。今考えました。
卵とネギを入れて軽く煮ます。コーヒーに、よく合います。
 
 
 
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎いが袈裟着た夏目雅子さんは別に憎くない@目的論】
 
先ほど、
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
なんてなことを、書きました。
 
これは相手側から考えると、目的論の例になります。
 
そのふるまいが原因で嫌っているのではないのです。
なんとなく嫌いなので、嫌う正当な理由がほしい、という目的のために、
どうふるまおうが、「そういうところが嫌い」と、
あたかもそれが原因で嫌っているかのように、使うのです。
 
ふるまいが原因で、嫌われる結果になったわけではない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんです。
 
それを、袈裟を着てるから坊主が憎いんだ、と思い込んでるようなもんです。
 
坊主が袈裟を脱いだら、頭を剃り上げているから憎いんだ、とかなんとか、
ほかの何かを原因として持ってくるだけのことです。
その坊主が脱いだ袈裟を夏目雅子さんが着たら三蔵法師
別に憎いとは思わないことでしょう。
 
さて、青年は、容姿にコンプレックスがあって、
そのために、うまく人付き合いができないと言います。
容姿が原因で、結果として人付き合いの不調がある、と。
 
哲人は言います。
 
あなたは人付き合いを避けたいのです。
人付き合いを避けるという目的があって、
その目的を果たすために、容姿などを持ち出しているのです、と。
 
うん、このサディストめ。
 
私は、うまく立ち回れなくて、恥ずかしくて身をよじりたいような思いをしたとき、
 
「自分、コミュ障なんで」と言ったことがあります。
 
知ってます。
私は、うまくできなかった自分のプライドを守るために、
よく知りもしない「コミュ障」という言葉を、都合よく使ったのです。
知ってますよ、このサディストめ。
 
ちなみに「このサディストめ」は本文中、青年が哲人にむかって叫ぶ言葉です。
 
この瞬間、キャスティング、青年は藤原竜也でお願いしたい、と激しく思いました。
 
「こ゛の゛サ゛テ゛ィ゛ス゛ト゛め゛」
 
哲人はぜひ森本レオで。
わお、公演はいつですか。(演りません)
 
 
 
【悲しめばいい、ハサミもあるし】
 
「他者信頼」「自己受容」を説く哲人に、青年は食ってかかります。
裏切るかどうかは他者の課題で、自分にはどうにもできないと諦めろというのかと。 
裏切られた時の、怒りや悲しみという感情はどうするのかと。
 
哲人は言います。

「思いっ切り悲しめばいいのです」
 
そうです、悲しめばいい。
 
理想の自分になろうと前向きに生きるあなたを、
あなたが信頼を寄せた人が裏切るなら、
 
「いま、ここ」を精一杯生きようとするあなたを、
あなたの好きな人が嫌うなら、
 
そのときこそ、大手を振って、悲しめばいいじゃないですか。
 
大丈夫、あなたの手には、関係を断ち切るハサミもあります。
 
もし、あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切ってしまってもかまわない。断ち切ることについては、あなたの課題なのですから。p233~234
(クローソーを思い出す)
 
だいいち、一切の怒りも悲しみも避けて通れる真っ白な人生など、
それは幸福ではなくて無です。
(て、パームシリーズでレイフ伯父さんが言ってた)
 
 
 
 
【ただの正論じゃないか、というまとめ】

全体的に、ただの正論です。
 
むちゃくちゃ面白かったけど、
舞台化してほしいぞってくらい面白かったけど、
要は、ぐうの音も出ない正論です。
 
 
一読して、 
 
そんなこと知ってるよ、でも世の中そうじゃないんだよ、
人間って、そうじゃないんだよ、
 
と言いたくなる人は、たくさんいるでしょう。

 
で、アドラー先生の、哲人の、おっかないとこはね。
 
……そゆこと言う人たちは、今の自分の状況を変えたくないという目的のために、
この本の瑕疵を拾い集めてるんだよね~、
という、「ふふふ」がちゃんと控えてるってとこなのです。
哲人もちろん「そゆこと」なんて言いませんが「ふふふ」は言います。下心を感じます。
 
 
デカルトも言ってます。
 
欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている  『方法序説』
 
今の自分を、自分が選んだ結果だと認めて、そこから踏み出す苦しみよりは、
今の自分と付き合い続ける苦しみのほうが、耐えられるのです。
ラクチンだもん。つらくても。
 
 
 
Mi150218  
相田みつを トイレ用日めくり ひとりしずか
 

でね。
 
私にとっては、あなたがこれで『嫌われる勇気』を読まなくても、
読んだけど「けれどけれどでなんにもしない みつを」だったりしても、

それはあなたの課題であって、私には関係がありません。
 
それでも、これを読むことで、あなたがちょっと幸せになるなら、
あなたが今よりちょっと、生きやすくなるなら、
この世界は私にとっても、今よりちょっと、
呼吸がしやすい場所になると思うんです。
 
つまりちょっと、私の課題でもあるんです。
 

それだから私は歌いましょう。
 
マン・イン・ザ・ミラー。
プォー!

 
 
 
 
本日はご訪問、誠にありがとうございました。
 

 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行
 
 

関連記事:

2015年3月 1日 (日)『嫌われる勇気』感想2@アドラー先生はどうだか知らないけど哲人は優しい

2015年2月 1日 (日)『嫌われる勇気』の、読前感想。

 


「美しくなどない 人生は残酷で苦痛に満ちている」というカーターに、
死ぬ間際のレイフ伯父さんが語る、
「お前には必ずわかる日が来るはずだ
 命は死とつながり
 死は命の中にある
 一点の血のしみも闇のにごりもない白いもの―――それは幸福ではなく無だ」
パーム17巻『愛でなくⅢ』p136~137
パーム30巻『蜘蛛の紋様Ⅰ』p160~161
 
パームシリーズは、私にとっては銀魂と並ぶ、
いつか子どもたちに読んでもらいたい漫画本です。
まあその、銀魂と並べると違和感パネェけど。
 
 

2015年2月14日 (土)

スタバでぬるめのアメリカーノを飲む方法。

ブログタイトルにスタバとかいれちゃうくらいですから、スタバスキーです。
ブログタイトルにJUMPとかいれちゃうくらいですから、週刊少年ジャンプ好きです。
 
しかしながら、このふたつは、相容れないのです。
 
スタバでジャンプ。
あのおシャンティな雰囲気と「友情」「努力」「勝利」の少年ジャンプは、
見事にハレーションを起こすのです。※個人の感想です。
 
目がチカチカして、なんか、いたたまれなくって、読めないの。
 
それでも2度、挑戦したことはあります。
 
1度目、黒子のバスケだけ、どうにか読めました。
2度目は読めませんでした。連載終わってたんで。
 
あ、文字数多い銀魂や、絵からの情報量が多いワンピースも読めません。
ワールドトリガーも、読めませんでした。たまたま休載だったので。
ハンターハンターも、読めませんでした。ずっと休s(略)
 
 
え、さて。
こう見えて、猫舌です。
「え~、見えな~い」とおっしゃる方は、ちょっとここへ来て、
「猫舌に見える外見」とはどういうものかレクチャー願います。
140字以内で。
ツイッターで済むわ。
 
というわけで、スタバでは「ぬるめ」「熱め」の好みをいえるので、
たいがい「ぬるめで」とお願いします。
そしてたいがい、ニッコリ受け付けてくれます。
 
が、アメリカーノとなると、話は違うのですよ。
 
おおむね、困った笑顔で
「申し訳ありません、アメリカーノは、ぬるめにできないんですよ~」
と言われてしまいます。
エスプレッソにお湯をいれるものなので、ぬるめにできない、と。
「氷いれてもらえればいいです」と言いますと、
ホッとしたように、
「あ、氷いれても大丈夫ですか~」
となるんですけども。
 
なんですかね大丈夫かって。
氷いれたら有毒ガスが発生する可能性がゼロとは言い切れないとかですかね。
「飲み物をぬるめに作れ。ただしこのとき氷は使わず空気の重さは考えないものとする」
なんて理科のテストのようなオーダーをしたつもりはないですよ。
そんな簡単に、作れないと言うなんて、
ジャスト・セイ・イエスのポリシーはどうしたのかしら。
やっぱり飛鳥はASUKAになってから変わってしまったのかしら。
 
でね。
氷いれると風味が落ちるとかなんとか、あるのかもしれませんが、
たまに慣れた店員さんなら、
「氷をいれるのでも良いですか?」
と聞いてくれますが、それもなんだか申し訳なさげな口振りです。
いいってば。氷いれたって爆発するわけじゃなし。
 
しかし実はこの、氷のあんばいが結構むつかしいのです。
いつも、あんまりぬるくなっておらず、あっちっち、となります。
けども熱すぎるぶんには、すぐに飲めないだけで、冷めるからいいんです。
とはいえアメリカーノを飲みたいときは、コーヒーをゴクゴク飲みたいときなので、
待ってる間、ちょっと手持ちぶさたです。ジャンプ読みたい。
 
  
先日のことでした。
やはり、
「アメリカーノはぬるめにできないんです」
と言われたので、いつもどおり、
 
「氷いれていいですよ」
「あ、いいですか~」
 
というやりとりを交わしました。
 
それが、カップを手渡すとき、こうおっしゃったのです。
 
「水と氷を半々でいれました。
 まだ熱すぎたら、おっしゃってくださいね。
 作り直しますから」
 
はーいありがとう、お手間かけてすいませんねえ、と席に座ってから、
 
 
 
……水と氷を半々で?
 
 
アメリカーノは、エスプレッソにお湯を入れたものだと、
ぬるめにできない説明で、何度か聞きました。
 
その、お湯を、「水と氷」の半々にしたと。
 
つまり、
 
エスプレッソ(熱)+水(冷)+氷(冷冷)
 
 
うん、あの、言いにくいんだけども。
 
それはもはや、
「ぬるめ」のアイスコーヒーではありますまいか。
 
カップを手にしたときから、予感はありましたが、
案の定、
 
氷がとけきってからしばらくほっといたアイスコーヒーのようでした。
 
 
あの……うん、でもほら、ゴクゴク飲めるし、ね。(ゴクゴク)
 
ちょっと、あの……腹が冷えるけど、ね。(ゴクゴク)
 
ぬるいっていうか、冷たいよな……作り直してもらおうかな。(ゴクゴク)
 
 
 
結局、ほぼ「氷がとけきったアイスコーヒー」状態の「ぬるめアメリカーノ」を、
作り直してもらうことなく飲みきりました。
 
いや、だって、店員さん、こう言ったのですよ?
 
熱すぎたら作り直しますね」
 
それをですね、
 
ぬるすぎるんで作り直してください」とか。
 
ちょっと、そのう、言いにくいじゃあないすか。
 
 
寒い日でしたから、店内といえども、

手の中でどんどん冷えていくアメリカーノ。
しかもヴェンティサイズ。
 
ぬるめアメリカーノへの道は、なんて果てなく険しいのでしょう。
今こそ手元にジャンプがあれば、火ノ丸相撲を迷わず読むのに。熱いから。
 
いまもなお、適度にぬるいアメリカーノのオーダー方法を模索中です。
 
つか、なんであんなに火傷するほど熱いんですか。
バックヤードに松岡修造が常駐してますか。
だったら握手してください。
 
 
本日はこんなところへご訪問まことにありがとうございました。
 
 
   何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行


2015年2月 1日 (日)

『嫌われる勇気』の、読前感想。

「この本を読む前の私と、読んだ後の私は別人である」

と言うほかない読書体験があります。

 
それは、自転車に乗れるようになった私が、
乗れない私に戻るのは難しく、
乗れなかったときの感覚を説明することすら、
うまくできなくなってしまうような感覚に似ています。
 
読む前の私がどんなであったか、どうしても思い出せない。
『嫌われる勇気』も、もしかしたらそんな一冊になるかもしれないなあと、
そんな思いから、読む前に、いつもどおりだらっと、書いてみるのです。

【そのタイトルは、正直ピンとこなかった】 
 
まあその。
最初にタイトルを耳にしたときは、
読まねえな、
と思いました。
 
だって『嫌われる勇気』ですよ。
あの手の本かと思っちゃったのですよ。

他人の評価が気になって。。。
あるがままの貴女を出せずにいませんか?
それは。。。
貴女に「嫌われる勇気」が足りないから。
この本を読むだけで、
本当の素晴らしい貴女を

( ゚ 3゚)≡@ ペッ!!

ああ、すいません。
自分で書き出しておいて、途中でイヤになりました。
三点リーダーじゃなく句点を使ったあたりなんかもう、
ホントやり過ぎたと反省しております。
 
つまりその、お手軽な心理学とか自己啓発系の、
「読むだけで人生が変わる!」
「たった1分で自分が変わる!」
っていう、あれかと思ったのです。
 
書店のレジ脇で、お試し読み小冊子に出会うまでは。
 

「君はアルフレッド・アドラーを知っているか?」
 
ちらりと見たその問いかけに、呼ばれた気がして、
買った漫画と一緒に、ひょいとバッグに入れたのでした。
 
画像が粗いのは、家で手帳の脇にこいつを置いたとき、
「あれ、ペンのインクが出ないなあ」
と、ぐりぐりやった試し書きを隠すためです。
言ったら隠した意味ないけど。 

 
 

【あとから思う、出会いは運命だったって】 
※試し読みしか読んでません。
 
さてこの小冊子。
冒頭には筆者スペシャル対談。
アドラー心理学のことを、対談形式でざっくり解説してます。

以下、抜粋。

岸見 アドラーはそうやってなんの因果関係もないところに
原因を求めることを「人生の嘘」と呼びました。
たとえば「私は学歴が低いから出世できない」とか
「私の結婚生活がうまくいかないのは、
幼いころの家庭環境がよくなかったからだ」
といった話についても、
人生の嘘だとして明確に否定します。

 
ここらでもう、おんや? と顔を上げたのです。

アドラーの「劇薬」哲学だの世界がひっくりかえっただのと語られてるのに、
まったくそんな気がしない。
既視感があり、肌なじみのよい話です。

小冊子の後半は単行本のお試し読みで、
特に以下の部分で確信しました。

哲人 (略)「いかなる経験も、
それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック--いわゆるトラウマ--
に苦しむのではなく、
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのでなく、
経験に与える意味によってみずからを決定するのである
 」と。

 
これは、ABC理論ではないのですか?(リンク先はWikipedia「論理療法」です)

ABC理論は、まさに私が、
この本に出会わなかったら、いま、私は生きていないだろう、
という本、
『〈自己発見〉の心理学』で読んだものであり、
今でも何か悩みが勃発すると、
「待って待って、いま私はどんなビリーフを持ってるの?」
と使っているものです。

思いがけないところで人生の恩人に似た人に出くわし、
ドギマギするような気分で調べてみましたところ、

論理療法(ろんりりょうほう)とは、心理療法家アルバート・エリス(Albert Ellis)によって1955年頃に創始された心理療法の一つである。広義の認知療法では最初のものとされている。
 
理論
人の悩みは出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、受け取り方を変えれば悩みはなくなるというのが基本的なスタンスである。そして、それはABC理論とイラショナル・ビリーフに集約される。

(Wikipedia「論理療法」から)

なるほど、ずっと国分康孝先生で記憶してましたが、
ABC理論は論理療法の理論で、その創始者は、アルバート・エリスである、と。
 
で、アルバート・エリス、で調べると、
「アドラー心理学の影響を受け、北米アドラー心理学会の会員でもある。」(Wikiさん)
 
つまり、
私の命を癒し、救った温泉の、その源泉が湧き出る場所、
その地への観光案内を、まるきり偶然、手に取ったようなもんです。
いや、師との出会いに偶然はありません。
て、内田樹センセが言ってた。

運命の出会いに、しかし私は、
 

一抹の不安を、ぬぐい去れないのです。
 
 
 
【その「青年」からダメンズの香りを感じる】 
 
この小冊子によりますと、『嫌われる勇気』は、
「哲人」と「青年」の対話形式を採用しているとか。
 
えっと……、

全編にわたって、対話形式ですか?

いや、別に構わないんですが、
ずっとこの、哲人と青年のやりとりを読まされるのかと思うと、
不安なのですよ。
 
この青年、筆者対談では、
 

アドラーの思想を説く哲人に対して、
血気盛んな青年がありとあらゆる角度から疑問を投げかけていく

 
お試し読みの扉では、青年の独白調で、

この混沌とした世界がシンプルだと? 
人はいつでも変われるだと? 
しかも、いますぐ幸せになれる? 
……冗談じゃない、そんな議論はすべて偽善だ。
この苦悩に満ちた人生に、特効薬なんてあってたまるか。
徹底的に論破して、化けの皮を剥がしてやる。

なんかもう、すでに痛々しいじゃないですか。 
論破とか言っちゃってるあたりで、
なんかもう負けフラグがビンビンじゃないですか。

お試し読み本文でも、

青年 わたしの友人に、もう何年も自室にこもりっきりになっている男がいます。

それ自分のことだろ。

「友達の話なんだけどさー」ていう、
定番だろ。

などといちいち突っ込んでしまって、
まったくアドラー心理学が頭に入ってきません。

さらに哲人が、「原因論」と「目的論」の違いの説明を青年に迫られて、
たとえとして、風邪で高熱を出して医者に診てもらった話をするくだり。

 

哲人 (略)そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、
昨日薄着をして出かけたからです」と、
風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。
さて、あなたはこれで満足できますか?
青年 できるはずもないでしょう。
理由が薄着のせいであろうと、雨に降られたせいであろうと、
そんなことはどうでもいい。
問題は、いま高熱に苦しめられているという事実であり、症状です。
医者であるならば、ちゃんと薬を処方するなり、注射を打つなり、
なにかしらの専門的処置をとって、治療してもらわなければなりません。

なにをまんまと哲人ご期待どおりに
「できるはずもないでしょう」
なんて返答をしちゃってるのかと。
 
ほらもう、哲人てば、ほくそ笑んじゃって、
(そんな描写はない)
でしょ? 原因論もね、原因を指摘するだけなんですよー(笑)(笑)(笑)
(そんなセリフはない)
て、なっちゃってるじゃないですか。
(なっちゃったかどうかは分からないけど、きっとなってる)
(少なくとも(笑)1個分くらいは、きっとなってる)

 
 
もう、ね。
ちょ、おま、徹底的に論破しに来たんじゃなかったのかよ、と。
 
そこはさ、
 
「ただの〈薄着のせい〉なら、家で暖かくしていれば治ります。
 何でもかんでも薬を出し、抗生剤を出すような医者に比べたら、
 よほど真摯な医者だと思いますよ!」

くらい、言ったれよ!
抗生剤は腹下すから、
「とりあえず抗生剤出します」の
「とりあえず」にムキッってなるのよ!
(後半は私個人の腹事情です)

 
……いえ、それじゃあ話が続きませんから。
わかってるんですよ、青年の役どころは、
哲人に疑問を投げかけることで、
アドラー心理学をわかりやすくすることなんだって。

 
ただ、一応「論破してやる!」ていう血気盛んキャラのわりに、
まんまと哲人の思惑どおりの返答をしたり、
まあまあとなだめられて大人しく話題を変えたりして、まるで、
ときどき青年が、ちらっとこっちを見ちゃってる感があるのですよ。
ほら、こういう質問すると、わかりやすいでしょ?
みたいな。
 
なんかこう、

演技がイマイチなイケメン役者の芝居を見てる気分だなあって。
 
せっかくだから、
 
哲人:佐々木蔵之介
青年:三浦涼介

 
で、どうでしょう。
(どうでしょう言われてもな)
 
急いで付け加えますが、
三浦涼介の演技がイマイチなのではないですよ。
「演技がイマイチ」「時々観客のほうを見ちゃう」という演技を彼にしてもらったら、
きっと可愛かろうなあって。
(去年『ロンドン版ショーシャンクの空に』を観ました)

A6サイズの小冊子、試し読み箇所は扉をいれて9ページ。 

すでにツッコミ疲れを感じつつ、それでも私は、
『嫌われる勇気』を読もうと思います。
 
このおっちょこちょいな青年が、
どんどん哲人にまるめこまれていく様を、見届けたいのです。

きっとラストでは、滂沱の涙を流して哲人と熱い抱擁をかわすのであろうなあ。
(それは多分ない)

 
本日は、まだ読んでない本でぐだぐだ語るこんなところへご訪問、誠にありがとうございます。

 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行

 

 
でもやっぱりちょっと観たいわ、佐々木蔵之介と三浦涼介で。

 
 
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2015年2月19日 (木)『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない
読後、希望するキャスティングが変わりました。 
 

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