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2015年2月19日 (木)

『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない~

♪ありのままの姿見せるのよ♪
と歌いながら宮殿にこもった彼女は、
どうやってありのままの姿を見せたのか、
疑問なのです。
ニコ生かしら。それともやっぱりyoutubeかしら。
 
え、さて。
アナ雪ファンが後足でかける砂を雪のように浴びながら、
私の研究室へようこそ。
 
研究室はうそです。
『嫌われる勇気』は、哲人がだいたいこんな感じで、
血気盛んな青年を迎えて対話を始めるところから始まります。
 
うそです。
アドラー心理学を説く哲人と、それを論破せんと訪ねてきた青年の、
対話形式である、というのは、本当です。
 
では早速アドラー先生にレリゴーを歌っていただく前に(歌いません)
ちょっと私の立ち位置を、あらかじめ明らかにさせてくださいませ。
読み飛ばされても問題ないです。
 
 
「ひとは誰でも幸福になれる」という哲人の主張に、
「嘘だ!」とやってきたレナ青年、かれは私の立ち位置ではありません。
かといって哲人の側でもありません。
 
私の立ち位置は、本書で2度だけコーヒーをお給仕する、
家政婦の悦子さんです。
哲人が青年にコーヒーをすすめるシーンは2回ありますが、
悦子さんは登場しませんよ念のため。
 
高校生のとき、私は論理療法に出会いました。
論理療法の創始者エリスは、アドラー心理学の影響をうけたそうです。
四半世紀のあいだ私は、論理療法という温かな泉に、
どっぷりつかって♪ババンガバンバンしてきたのです。ア、ビバノンノ♪
 
そのためか、アドラー心理学の本を読むのはこれが初めてであるにも関わらず、
内容の4分の3は、既知の事項に感じられたのでした。
 
つまり私は、アドラー心理学の初心者でありながら、妙に知ったような顔で、
上流階級の欺瞞を暴露する悦子さんなのです。
 
いえ、特に本書では暴露すべき何事も起こりませんが。
しいていうなら、p115で、哲人が唐突に青年を、
「かけがえのない友人」と呼び出すのが怪しいです。
何らかの下心を感じます。
 
 
 
【アドラー先生は、マン・イン・ザ・ミラーを歌う(かどうかは分からない)
 
さて、悦子です。(違います)
 
『嫌われる勇気』は大変面白く(ゲラゲラ笑った)
思うこと、書きたいことは山ほどありますが、
ここでは「自己受容」「課題の分離」「目的論」に絞って、
いつもどおり絞り込んでない、だらっとした文章でつづってまいります。
(絞ってないのか)
 
 
わりと後半のことですが、哲人は、
ありのままでいい、
と、うっかり言っちゃってます。
 
悦子さんとしては、「あらまあ!」です。
哲人も、ああ見えて結構そそっかしいのね。悦子です。(違います)
 
いや、だってね。
 
今どき「ありのまま」なんて言ったら、レリゴーだと思うじゃありませんか。
ありのままでいいのって、少しも寒くないわつって、
扉バターンしちゃうじゃないですか。
 
ですから哲人、さすがに注釈を加えます。
哲人が言わんとしている「ありのまま」とは、自己受容であると。
レリゴーは自己肯定であって、自己受容とは違うと。
レリゴーは言ってません。
 
つまり、自分とは、いまここにある自分でしかないという、
その認識から始めようと。
自分が変われば世界は変わらざるを得ないのだ、
さあ、鏡に映る、このパッとしない自分から始めよう、と。
 
それではここで、アドラー先生に歌っていただきましょう、
マン・イン・ザ・ミラー
プォー!(マイケル)
 
いや、でもp212の「誰かが始めなければならない」なんて、
 まさにマンインザミラーじゃないすか、って思うのですよ。

 
 
 
【嫌いな人から嫌われたくない不思議】
 
ずっと疑問でした。
 
どうしてそんなに、嫌われるのを恐れるのか。
嫌いな人からさえも嫌われたくない、
そんな無謀な望みが、叶えられないからといって、
なぜ腹を立てるのだろうかって。
 
 
あるとき知人が、憤然として言いました。
 
「○○さん、私のことを嫌ってるんだって!」
 
あれ、○○さんて、あなたが嫌ってる人じゃないすか。
じゃあ別に嫌われたっていいじゃないですか。
 
「あの人に嫌われる理由なんて、私にはないもの!」
 
えっと、でも、自分のことを嫌ってるってだけで、
あなたを嫌う理由には足りるんじゃないでしょうか。
 
……睨まれました。ごめんなさい。
 
 
またあるとき。
別の知人と、つまらないことで口論になり、
先方の捨て台詞が、
 
「俺はな、おまえのことが大っ嫌いなんだよ!」
 
つい、笑顔で、
 
「よかった、私もだよ」(本心)
 
目に見えて、先方の顔が「グサッ」て言いました。
 
聞いていた周囲は、私に非難ごうごうでした。
 
「ひど~い」
「鬼だな……」
「おまえ、毒吐くにもほどがあるだろー」
 
えええ?
 
 
えー……
 
事程左様に、
自分が人を嫌うのはしょうがないけど、
人から嫌われるのは我慢がならない、
というのが、おそらく一般的なのではありますまいか。
哲人のもとを訪れた青年も、
人から嫌われたくないのは当然であると主張します。
 
それだからこそ、『嫌われる勇気』というタイトルの本が、
売れるのではありますまいか。
 
嫌いはするけど、嫌われるのは、耐えられない。
耐えられない苦しみに立ち向かう勇気を、とかなんとか。
 
でもね。
 
 
【『嫌われる勇気』が腑に落ちれば「嫌われる勇気」が意味不明になる@課題の分離】
 
嫌うのは先方の側のなんやかんやであるからして、
こちら側でどうこうできるもんじゃありゃしません。
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
おそらくはこれが、哲人が言うところの「課題の分離」ではないでしょうか。
 
『嫌われる勇気』とは、「嫌われる」、つまり先方が私のことを嫌うのは、
先方の心に起こることであって、私がコントロールできることではない、
と認める「勇気」の話ではないでしょうか。
 
実際、嫌われるかどうかは、私には関係ない、
それは私の課題ではない、と納得してしまった後では、
「嫌われる勇気」は意味不明な言葉に変ずるはずです。
「あのラーメン屋に行列ができる勇気」みたいな。
 
あのラーメン屋に行列ができることと私の勇気は、関係がないのです。
 
そりゃまあ、吹く風と桶屋の増収くらいには関係あるかもしれません。
あと悦子さんの得意料理はチキンラーメンです。今考えました。
卵とネギを入れて軽く煮ます。コーヒーに、よく合います。
 
 
 
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎いが袈裟着た夏目雅子さんは別に憎くない@目的論】
 
先ほど、
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
なんてなことを、書きました。
 
これは相手側から考えると、目的論の例になります。
 
そのふるまいが原因で嫌っているのではないのです。
なんとなく嫌いなので、嫌う正当な理由がほしい、という目的のために、
どうふるまおうが、「そういうところが嫌い」と、
あたかもそれが原因で嫌っているかのように、使うのです。
 
ふるまいが原因で、嫌われる結果になったわけではない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんです。
 
それを、袈裟を着てるから坊主が憎いんだ、と思い込んでるようなもんです。
 
坊主が袈裟を脱いだら、頭を剃り上げているから憎いんだ、とかなんとか、
ほかの何かを原因として持ってくるだけのことです。
その坊主が脱いだ袈裟を夏目雅子さんが着たら三蔵法師
別に憎いとは思わないことでしょう。
 
さて、青年は、容姿にコンプレックスがあって、
そのために、うまく人付き合いができないと言います。
容姿が原因で、結果として人付き合いの不調がある、と。
 
哲人は言います。
 
あなたは人付き合いを避けたいのです。
人付き合いを避けるという目的があって、
その目的を果たすために、容姿などを持ち出しているのです、と。
 
うん、このサディストめ。
 
私は、うまく立ち回れなくて、恥ずかしくて身をよじりたいような思いをしたとき、
 
「自分、コミュ障なんで」と言ったことがあります。
 
知ってます。
私は、うまくできなかった自分のプライドを守るために、
よく知りもしない「コミュ障」という言葉を、都合よく使ったのです。
知ってますよ、このサディストめ。
 
ちなみに「このサディストめ」は本文中、青年が哲人にむかって叫ぶ言葉です。
 
この瞬間、キャスティング、青年は藤原竜也でお願いしたい、と激しく思いました。
 
「こ゛の゛サ゛テ゛ィ゛ス゛ト゛め゛」
 
哲人はぜひ森本レオで。
わお、公演はいつですか。(演りません)
 
 
 
【悲しめばいい、ハサミもあるし】
 
「他者信頼」「自己受容」を説く哲人に、青年は食ってかかります。
裏切るかどうかは他者の課題で、自分にはどうにもできないと諦めろというのかと。 
裏切られた時の、怒りや悲しみという感情はどうするのかと。
 
哲人は言います。

「思いっ切り悲しめばいいのです」
 
そうです、悲しめばいい。
 
理想の自分になろうと前向きに生きるあなたを、
あなたが信頼を寄せた人が裏切るなら、
 
「いま、ここ」を精一杯生きようとするあなたを、
あなたの好きな人が嫌うなら、
 
そのときこそ、大手を振って、悲しめばいいじゃないですか。
 
大丈夫、あなたの手には、関係を断ち切るハサミもあります。
 
もし、あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切ってしまってもかまわない。断ち切ることについては、あなたの課題なのですから。p233~234
(クローソーを思い出す)
 
だいいち、一切の怒りも悲しみも避けて通れる真っ白な人生など、
それは幸福ではなくて無です。
(て、パームシリーズでレイフ伯父さんが言ってた)
 
 
 
 
【ただの正論じゃないか、というまとめ】

全体的に、ただの正論です。
 
むちゃくちゃ面白かったけど、
舞台化してほしいぞってくらい面白かったけど、
要は、ぐうの音も出ない正論です。
 
 
一読して、 
 
そんなこと知ってるよ、でも世の中そうじゃないんだよ、
人間って、そうじゃないんだよ、
 
と言いたくなる人は、たくさんいるでしょう。

 
で、アドラー先生の、哲人の、おっかないとこはね。
 
……そゆこと言う人たちは、今の自分の状況を変えたくないという目的のために、
この本の瑕疵を拾い集めてるんだよね~、
という、「ふふふ」がちゃんと控えてるってとこなのです。
哲人もちろん「そゆこと」なんて言いませんが「ふふふ」は言います。下心を感じます。
 
 
デカルトも言ってます。
 
欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている  『方法序説』
 
今の自分を、自分が選んだ結果だと認めて、そこから踏み出す苦しみよりは、
今の自分と付き合い続ける苦しみのほうが、耐えられるのです。
ラクチンだもん。つらくても。
 
 
 
Mi150218  
相田みつを トイレ用日めくり ひとりしずか
 

でね。
 
私にとっては、あなたがこれで『嫌われる勇気』を読まなくても、
読んだけど「けれどけれどでなんにもしない みつを」だったりしても、

それはあなたの課題であって、私には関係がありません。
 
それでも、これを読むことで、あなたがちょっと幸せになるなら、
あなたが今よりちょっと、生きやすくなるなら、
この世界は私にとっても、今よりちょっと、
呼吸がしやすい場所になると思うんです。
 
つまりちょっと、私の課題でもあるんです。
 

それだから私は歌いましょう。
 
マン・イン・ザ・ミラー。
プォー!

 
 
 
 
本日はご訪問、誠にありがとうございました。
 

 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行
 
 

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2015年2月 1日 (日)『嫌われる勇気』の、読前感想。

 


「美しくなどない 人生は残酷で苦痛に満ちている」というカーターに、
死ぬ間際のレイフ伯父さんが語る、
「お前には必ずわかる日が来るはずだ
 命は死とつながり
 死は命の中にある
 一点の血のしみも闇のにごりもない白いもの―――それは幸福ではなく無だ」
パーム17巻『愛でなくⅢ』p136~137
パーム30巻『蜘蛛の紋様Ⅰ』p160~161
 
パームシリーズは、私にとっては銀魂と並ぶ、
いつか子どもたちに読んでもらいたい漫画本です。
まあその、銀魂と並べると違和感パネェけど。
 
 

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