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2015年3月の4件の投稿

2015年3月24日 (火)

ブログお引っ越し予定

アメブロにお引っ越しを検討中です。

お引っ越しそのものは済んでいるんですけどもね。→こちら
70件ほど、お引っ越しが成功しなかった記事があるのと、
アメブロ、kindle端末では更新ができない(新規投稿可、下書きからの編集不可)ぽいのとで、
どーしたもんかなー、と迷っておるのです。
 
ガラケーにもどしたので、移動時間にしか記事を書けない私としては、
手持ちの端末で記事更新ができないのは、かなり、弱っちゃうのですよ。
タブレットもあるっちゃあるけど。
当分のあいだ、あっちいったりこっちいったりするかと存じますが、
まあその、検索で訪問されてる方にはどうでもいい情報ではあります。
 
では本日はこのへんで。
ごきげんようごきげんよう。

2015年3月20日 (金)

今日の思いつ記録150320

今日の思いつき記録150320

PMS48

とかいってPMSの症状あるあるをリスト化したら、
なんかこう気持ち症状が軽くなるように思うんだけど
いかがだろうか。
 
ついでに擬人化したらば、
わりと楽しいと思うんだけど
いかがだろうか。
 
画像と本文は関係がありません。
デニッシュセットだけど
明らかにヨーグルトのデニッシュ添えであった。

2015年3月19日 (木)

今日の思いつ記録150319

今日の気付いてしまった史150319
あのさ、おばちゃんはさ、
パワーがあるんじゃないの。

元気なんじゃないの。
慎む力が弱ってるだけなの。

自重するパワーが、不足してるだけなの。
ときどき「瞳孔開いてる」感のある記事を
書いてしまうのは、

たぶん自制心が弱まってるせいなの。
そんな40代2015春。


画像と本文はビタ一文も関係ありません。

2015年3月 1日 (日)

『嫌われる勇気』感想2@アドラー先生はどうだか知らないけど哲人は優しい

フロイト、ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」アドラーの思想を説く哲人と、
それを論破せんと息巻く青年の対話形式の本書。
 
劇薬といわれるアドラー心理学を説きながら、本書の哲人は、
全編通して青年に優しいです。
 
何を言っても反発し、怒り、ときに嘲笑する青年を、
しかし哲人は、
「かけがえのない友人」
として扱うのです。

こんなあんばいで。
 
 
【目的論:「悩み」は目的達成手段】
 
原因があって悩み、引きこもったりするのではなくて、
目的(構ってほしい、気遣われたい、人付き合いを避けたい等々)のために、
「悩み」を自ら選択しているのだと喝破し、
逃げ道をガラガラ崩壊させる哲人は、
それでも青年に優しいです。
 
だってけっして、徹底的に追い詰めたりはしないんですもの。
 
青年が帰ったあと、哲人の家政婦である悦子さんが、
 

「どうして旦那様(哲人のこと)は、
 あの顔色の悪い生意気な坊ちゃん(青年のこと)を
 逆に論破して、返り討ちにしてやったりなさらないんですの?
  旦那様でなくとも、あたくしにだって簡単なことですわ」

 
なんて言うのも当然です。
悦子さん登場しないけど。
 
だって、ねえ青年。
嫌われたくない、好かれたい、と言うなら、
「そういうあなたは『嫌われたくない、好かれたい』と他人の顔色をうかがってばかり人を、好きになれますか?」
 
私がまだ小娘の頃、友人の相談事に対してそう聞いたところ、
怒らせてしまいました。
逆の立場で考えればわかるよね、という問いかけは、
考えが浅いね、という指摘と抱き合わせです。
 
優しい哲人は、そんなこと問わないのです。
青年とっくに怒ってるけど。
 
 
【普通なんてまっぴら】

 
さらに「普通である勇気」を説く哲人に、
青年は「普通なんてまっぴらだ!」と怒ります。
 
コーヒーを出す悦子さんが、
 

「あら! あなた先日、
 自意識過剰で普通に人と話せないって言ってたじゃありませんか。
 普通にできない人が、普通なんてまっぴらですって?」

 
と、思わず口を出してしまったのも当然です。
悦子さん登場しないけど。
 
優しい哲人は言います。
 

哲人 普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を
「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。
普通であることとは、無能なのではありません。
わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです

「まったくもう、旦那様は優しすぎるんですよ」

悦子さん、ぷんすかしながらコーヒーのおかわりを注ぐのです。
悦子さん登場しないけど。
 
 
【課題分離のあとに感情が残ったら】
 
人に好かれるか嫌われるかは、相手の課題と哲人は言います。
こちら側ではどうにもできない。
 
では、諦めるほかないのか。
裏切られた怒りや悲しみはどうしたらいいのか、
と青年せまります。
 
優しい哲人は答えます。
 

「悲しめばいいのですよ!」 

 
だって、ねえ青年。
その怒りや悲しみは、青年の感情です。
他者の好悪や裏切りを、青年はどうにもできないのと同じく、
青年の怒り、悲しみをどうにかできるのは、青年だけです。
それは青年の課題であって、哲人は介入できないんです。
 
なんて、優しい哲人は言わないんです。
かわりに、
「思いっきり悲しめばいい」という英知を授けるのです。
 
 
【おまじないでもいいじゃない】
 
でね。
 
青年の、怒りや悲しみをどうにかするのは、哲人にはできません。
青年自身のほか、誰にもできません。
 
私の怒りや悲しみも、どうにかできるのは私です。
もしも、
「読んだら悩みがなくなると聞いたのに、ちっともなくならない」と言うなら、
それは自分で、悩みを持ち続けることを選択したからです。
なるほどアドラー心理学って、おっかないですねえ。
 
正直私は、ここから先は、おまじないの領域のように思います。
 
アドラー心理学の本を読んだり、
ココロジストさんの本を読んだり、
部屋の窓を開けてみたり、
ベッドの三方を壁からはなして置いてみたり。
 
何であれ、それで心が晴れるなら、
それで構わないんじゃねいのって。
 
哲人が求めるのは、万人に効くシンプルな解であるかもしれません。
  
それでも、万能薬じゃなくたって、いいじゃないですか。
エリクサーじゃなきゃダメですか。
当座、ポーションでもケアルでもいいじゃないですか。
ぐねぐねと頼りない足取りでも、平原を進むうち、
ケアルガが使えるようになります。(どっちかってーとFF派) 
 
だから、万能薬じゃなくっても、
いいからこの『嫌われる勇気』という水を、
飲んでみてくださいよ、と袖を引きたいのです。

 
【水辺に連れてこられた私は水を飲むか否か】
 
ABC理論という温泉水を、お腹じゃぶじゃぶ飲んだ私が
言うことじゃあないんですが。
 
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」
 
哲人も引用する古いことわざです。
そういう場面に出くわすたび、いつも思うんです。
 
人を馬にたとえるなんて、ちょっと口には出せないなあ。
 
優しい哲人は、青年に言います。
 

哲人 もはや議論は水辺に達しているでしょう。水を呑むかどうかは、あなたの決心次第です。

 
うん、主語を「議論」にすることで、絶妙に「青年=馬」を回避していますが、
「水を呑む」のが青年には変わりないですからね。
 
青年は気にとめてないようだからいいけど、
悦子さん、ドアのかげからハラハラですよ。
悦子さん登場しないけど。
 
確かに、馬を水辺に連れて行くことはできても、
強引に水を飲ませることはできません。
 
私をヨーグルトきのこの大ピッチャーの前に座らせることはできても、
それを強引に飲ませることはでk、あ、なにをするんですか乱暴はやqあwせdfrtgyふじこ

……ちくしょうケフィアだなんて、だましたな!(いいえ、ケフィアです)
 

というように、この本を読んで、どうするかは、自分の課題です。
哲人にも、誰にも介入できません。
水辺を混ぜっ返して濁すことばかり書いてきましたが、
伝えたいことは、ただこれだけかもしれません。
 
読めばどうにかしてくれる本じゃあないですよ。
自分を変えるのは、変えることができるのは、
自分だけですっていう本ですよ。
悦子さんは登場しませんよ。それは言うまでもない。 
 

鏡をのぞけば見返してくる、その人だけが、私を変えることができます。
 
 
 
それでは先週に引き続き私が歌いましょう、
 
マン・イン・ザ・ミラー。
 
プォー!(だいたい歌いたいだけ)
 
 
 
 
本日はご訪問ありがとうございました。
 
 

    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行
 
 

関連記事:

2015年2月19日 (木)『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない~

2015年2月 1日 (日)『嫌われる勇気』の、読前感想。

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