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2015年3月 1日 (日)

『嫌われる勇気』感想2@アドラー先生はどうだか知らないけど哲人は優しい

フロイト、ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」アドラーの思想を説く哲人と、
それを論破せんと息巻く青年の対話形式の本書。
 
劇薬といわれるアドラー心理学を説きながら、本書の哲人は、
全編通して青年に優しいです。
 
何を言っても反発し、怒り、ときに嘲笑する青年を、
しかし哲人は、
「かけがえのない友人」
として扱うのです。

こんなあんばいで。
 
 
【目的論:「悩み」は目的達成手段】
 
原因があって悩み、引きこもったりするのではなくて、
目的(構ってほしい、気遣われたい、人付き合いを避けたい等々)のために、
「悩み」を自ら選択しているのだと喝破し、
逃げ道をガラガラ崩壊させる哲人は、
それでも青年に優しいです。
 
だってけっして、徹底的に追い詰めたりはしないんですもの。
 
青年が帰ったあと、哲人の家政婦である悦子さんが、
 

「どうして旦那様(哲人のこと)は、
 あの顔色の悪い生意気な坊ちゃん(青年のこと)を
 逆に論破して、返り討ちにしてやったりなさらないんですの?
  旦那様でなくとも、あたくしにだって簡単なことですわ」

 
なんて言うのも当然です。
悦子さん登場しないけど。
 
だって、ねえ青年。
嫌われたくない、好かれたい、と言うなら、
「そういうあなたは『嫌われたくない、好かれたい』と他人の顔色をうかがってばかり人を、好きになれますか?」
 
私がまだ小娘の頃、友人の相談事に対してそう聞いたところ、
怒らせてしまいました。
逆の立場で考えればわかるよね、という問いかけは、
考えが浅いね、という指摘と抱き合わせです。
 
優しい哲人は、そんなこと問わないのです。
青年とっくに怒ってるけど。
 
 
【普通なんてまっぴら】

 
さらに「普通である勇気」を説く哲人に、
青年は「普通なんてまっぴらだ!」と怒ります。
 
コーヒーを出す悦子さんが、
 

「あら! あなた先日、
 自意識過剰で普通に人と話せないって言ってたじゃありませんか。
 普通にできない人が、普通なんてまっぴらですって?」

 
と、思わず口を出してしまったのも当然です。
悦子さん登場しないけど。
 
優しい哲人は言います。
 

哲人 普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を
「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。
普通であることとは、無能なのではありません。
わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです

「まったくもう、旦那様は優しすぎるんですよ」

悦子さん、ぷんすかしながらコーヒーのおかわりを注ぐのです。
悦子さん登場しないけど。
 
 
【課題分離のあとに感情が残ったら】
 
人に好かれるか嫌われるかは、相手の課題と哲人は言います。
こちら側ではどうにもできない。
 
では、諦めるほかないのか。
裏切られた怒りや悲しみはどうしたらいいのか、
と青年せまります。
 
優しい哲人は答えます。
 

「悲しめばいいのですよ!」 

 
だって、ねえ青年。
その怒りや悲しみは、青年の感情です。
他者の好悪や裏切りを、青年はどうにもできないのと同じく、
青年の怒り、悲しみをどうにかできるのは、青年だけです。
それは青年の課題であって、哲人は介入できないんです。
 
なんて、優しい哲人は言わないんです。
かわりに、
「思いっきり悲しめばいい」という英知を授けるのです。
 
 
【おまじないでもいいじゃない】
 
でね。
 
青年の、怒りや悲しみをどうにかするのは、哲人にはできません。
青年自身のほか、誰にもできません。
 
私の怒りや悲しみも、どうにかできるのは私です。
もしも、
「読んだら悩みがなくなると聞いたのに、ちっともなくならない」と言うなら、
それは自分で、悩みを持ち続けることを選択したからです。
なるほどアドラー心理学って、おっかないですねえ。
 
正直私は、ここから先は、おまじないの領域のように思います。
 
アドラー心理学の本を読んだり、
ココロジストさんの本を読んだり、
部屋の窓を開けてみたり、
ベッドの三方を壁からはなして置いてみたり。
 
何であれ、それで心が晴れるなら、
それで構わないんじゃねいのって。
 
哲人が求めるのは、万人に効くシンプルな解であるかもしれません。
  
それでも、万能薬じゃなくたって、いいじゃないですか。
エリクサーじゃなきゃダメですか。
当座、ポーションでもケアルでもいいじゃないですか。
ぐねぐねと頼りない足取りでも、平原を進むうち、
ケアルガが使えるようになります。(どっちかってーとFF派) 
 
だから、万能薬じゃなくっても、
いいからこの『嫌われる勇気』という水を、
飲んでみてくださいよ、と袖を引きたいのです。

 
【水辺に連れてこられた私は水を飲むか否か】
 
ABC理論という温泉水を、お腹じゃぶじゃぶ飲んだ私が
言うことじゃあないんですが。
 
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」
 
哲人も引用する古いことわざです。
そういう場面に出くわすたび、いつも思うんです。
 
人を馬にたとえるなんて、ちょっと口には出せないなあ。
 
優しい哲人は、青年に言います。
 

哲人 もはや議論は水辺に達しているでしょう。水を呑むかどうかは、あなたの決心次第です。

 
うん、主語を「議論」にすることで、絶妙に「青年=馬」を回避していますが、
「水を呑む」のが青年には変わりないですからね。
 
青年は気にとめてないようだからいいけど、
悦子さん、ドアのかげからハラハラですよ。
悦子さん登場しないけど。
 
確かに、馬を水辺に連れて行くことはできても、
強引に水を飲ませることはできません。
 
私をヨーグルトきのこの大ピッチャーの前に座らせることはできても、
それを強引に飲ませることはでk、あ、なにをするんですか乱暴はやqあwせdfrtgyふじこ

……ちくしょうケフィアだなんて、だましたな!(いいえ、ケフィアです)
 

というように、この本を読んで、どうするかは、自分の課題です。
哲人にも、誰にも介入できません。
水辺を混ぜっ返して濁すことばかり書いてきましたが、
伝えたいことは、ただこれだけかもしれません。
 
読めばどうにかしてくれる本じゃあないですよ。
自分を変えるのは、変えることができるのは、
自分だけですっていう本ですよ。
悦子さんは登場しませんよ。それは言うまでもない。 
 

鏡をのぞけば見返してくる、その人だけが、私を変えることができます。
 
 
 
それでは先週に引き続き私が歌いましょう、
 
マン・イン・ザ・ミラー。
 
プォー!(だいたい歌いたいだけ)
 
 
 
 
本日はご訪問ありがとうございました。
 
 

    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行
 
 

関連記事:

2015年2月19日 (木)『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない~

2015年2月 1日 (日)『嫌われる勇気』の、読前感想。

2015年2月19日 (木)

『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない~

♪ありのままの姿見せるのよ♪
と歌いながら宮殿にこもった彼女は、
どうやってありのままの姿を見せたのか、
疑問なのです。
ニコ生かしら。それともやっぱりyoutubeかしら。
 
え、さて。
アナ雪ファンが後足でかける砂を雪のように浴びながら、
私の研究室へようこそ。
 
研究室はうそです。
『嫌われる勇気』は、哲人がだいたいこんな感じで、
血気盛んな青年を迎えて対話を始めるところから始まります。
 
うそです。
アドラー心理学を説く哲人と、それを論破せんと訪ねてきた青年の、
対話形式である、というのは、本当です。
 
では早速アドラー先生にレリゴーを歌っていただく前に(歌いません)
ちょっと私の立ち位置を、あらかじめ明らかにさせてくださいませ。
読み飛ばされても問題ないです。
 
 
「ひとは誰でも幸福になれる」という哲人の主張に、
「嘘だ!」とやってきたレナ青年、かれは私の立ち位置ではありません。
かといって哲人の側でもありません。
 
私の立ち位置は、本書で2度だけコーヒーをお給仕する、
家政婦の悦子さんです。
哲人が青年にコーヒーをすすめるシーンは2回ありますが、
悦子さんは登場しませんよ念のため。
 
高校生のとき、私は論理療法に出会いました。
論理療法の創始者エリスは、アドラー心理学の影響をうけたそうです。
四半世紀のあいだ私は、論理療法という温かな泉に、
どっぷりつかって♪ババンガバンバンしてきたのです。ア、ビバノンノ♪
 
そのためか、アドラー心理学の本を読むのはこれが初めてであるにも関わらず、
内容の4分の3は、既知の事項に感じられたのでした。
 
つまり私は、アドラー心理学の初心者でありながら、妙に知ったような顔で、
上流階級の欺瞞を暴露する悦子さんなのです。
 
いえ、特に本書では暴露すべき何事も起こりませんが。
しいていうなら、p115で、哲人が唐突に青年を、
「かけがえのない友人」と呼び出すのが怪しいです。
何らかの下心を感じます。
 
 
 
【アドラー先生は、マン・イン・ザ・ミラーを歌う(かどうかは分からない)
 
さて、悦子です。(違います)
 
『嫌われる勇気』は大変面白く(ゲラゲラ笑った)
思うこと、書きたいことは山ほどありますが、
ここでは「自己受容」「課題の分離」「目的論」に絞って、
いつもどおり絞り込んでない、だらっとした文章でつづってまいります。
(絞ってないのか)
 
 
わりと後半のことですが、哲人は、
ありのままでいい、
と、うっかり言っちゃってます。
 
悦子さんとしては、「あらまあ!」です。
哲人も、ああ見えて結構そそっかしいのね。悦子です。(違います)
 
いや、だってね。
 
今どき「ありのまま」なんて言ったら、レリゴーだと思うじゃありませんか。
ありのままでいいのって、少しも寒くないわつって、
扉バターンしちゃうじゃないですか。
 
ですから哲人、さすがに注釈を加えます。
哲人が言わんとしている「ありのまま」とは、自己受容であると。
レリゴーは自己肯定であって、自己受容とは違うと。
レリゴーは言ってません。
 
つまり、自分とは、いまここにある自分でしかないという、
その認識から始めようと。
自分が変われば世界は変わらざるを得ないのだ、
さあ、鏡に映る、このパッとしない自分から始めよう、と。
 
それではここで、アドラー先生に歌っていただきましょう、
マン・イン・ザ・ミラー
プォー!(マイケル)
 
いや、でもp212の「誰かが始めなければならない」なんて、
 まさにマンインザミラーじゃないすか、って思うのですよ。

 
 
 
【嫌いな人から嫌われたくない不思議】
 
ずっと疑問でした。
 
どうしてそんなに、嫌われるのを恐れるのか。
嫌いな人からさえも嫌われたくない、
そんな無謀な望みが、叶えられないからといって、
なぜ腹を立てるのだろうかって。
 
 
あるとき知人が、憤然として言いました。
 
「○○さん、私のことを嫌ってるんだって!」
 
あれ、○○さんて、あなたが嫌ってる人じゃないすか。
じゃあ別に嫌われたっていいじゃないですか。
 
「あの人に嫌われる理由なんて、私にはないもの!」
 
えっと、でも、自分のことを嫌ってるってだけで、
あなたを嫌う理由には足りるんじゃないでしょうか。
 
……睨まれました。ごめんなさい。
 
 
またあるとき。
別の知人と、つまらないことで口論になり、
先方の捨て台詞が、
 
「俺はな、おまえのことが大っ嫌いなんだよ!」
 
つい、笑顔で、
 
「よかった、私もだよ」(本心)
 
目に見えて、先方の顔が「グサッ」て言いました。
 
聞いていた周囲は、私に非難ごうごうでした。
 
「ひど~い」
「鬼だな……」
「おまえ、毒吐くにもほどがあるだろー」
 
えええ?
 
 
えー……
 
事程左様に、
自分が人を嫌うのはしょうがないけど、
人から嫌われるのは我慢がならない、
というのが、おそらく一般的なのではありますまいか。
哲人のもとを訪れた青年も、
人から嫌われたくないのは当然であると主張します。
 
それだからこそ、『嫌われる勇気』というタイトルの本が、
売れるのではありますまいか。
 
嫌いはするけど、嫌われるのは、耐えられない。
耐えられない苦しみに立ち向かう勇気を、とかなんとか。
 
でもね。
 
 
【『嫌われる勇気』が腑に落ちれば「嫌われる勇気」が意味不明になる@課題の分離】
 
嫌うのは先方の側のなんやかんやであるからして、
こちら側でどうこうできるもんじゃありゃしません。
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
おそらくはこれが、哲人が言うところの「課題の分離」ではないでしょうか。
 
『嫌われる勇気』とは、「嫌われる」、つまり先方が私のことを嫌うのは、
先方の心に起こることであって、私がコントロールできることではない、
と認める「勇気」の話ではないでしょうか。
 
実際、嫌われるかどうかは、私には関係ない、
それは私の課題ではない、と納得してしまった後では、
「嫌われる勇気」は意味不明な言葉に変ずるはずです。
「あのラーメン屋に行列ができる勇気」みたいな。
 
あのラーメン屋に行列ができることと私の勇気は、関係がないのです。
 
そりゃまあ、吹く風と桶屋の増収くらいには関係あるかもしれません。
あと悦子さんの得意料理はチキンラーメンです。今考えました。
卵とネギを入れて軽く煮ます。コーヒーに、よく合います。
 
 
 
【坊主憎けりゃ袈裟まで憎いが袈裟着た夏目雅子さんは別に憎くない@目的論】
 
先ほど、
 
懸命に、相手の気に入るようにふるまったって、
「その、こっちの顔色うかがう態度が気持ち悪い」
と嫌われることだって、往々にしてあるのじゃないのかしらん。
 
なんてなことを、書きました。
 
これは相手側から考えると、目的論の例になります。
 
そのふるまいが原因で嫌っているのではないのです。
なんとなく嫌いなので、嫌う正当な理由がほしい、という目的のために、
どうふるまおうが、「そういうところが嫌い」と、
あたかもそれが原因で嫌っているかのように、使うのです。
 
ふるまいが原因で、嫌われる結果になったわけではない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いんです。
 
それを、袈裟を着てるから坊主が憎いんだ、と思い込んでるようなもんです。
 
坊主が袈裟を脱いだら、頭を剃り上げているから憎いんだ、とかなんとか、
ほかの何かを原因として持ってくるだけのことです。
その坊主が脱いだ袈裟を夏目雅子さんが着たら三蔵法師
別に憎いとは思わないことでしょう。
 
さて、青年は、容姿にコンプレックスがあって、
そのために、うまく人付き合いができないと言います。
容姿が原因で、結果として人付き合いの不調がある、と。
 
哲人は言います。
 
あなたは人付き合いを避けたいのです。
人付き合いを避けるという目的があって、
その目的を果たすために、容姿などを持ち出しているのです、と。
 
うん、このサディストめ。
 
私は、うまく立ち回れなくて、恥ずかしくて身をよじりたいような思いをしたとき、
 
「自分、コミュ障なんで」と言ったことがあります。
 
知ってます。
私は、うまくできなかった自分のプライドを守るために、
よく知りもしない「コミュ障」という言葉を、都合よく使ったのです。
知ってますよ、このサディストめ。
 
ちなみに「このサディストめ」は本文中、青年が哲人にむかって叫ぶ言葉です。
 
この瞬間、キャスティング、青年は藤原竜也でお願いしたい、と激しく思いました。
 
「こ゛の゛サ゛テ゛ィ゛ス゛ト゛め゛」
 
哲人はぜひ森本レオで。
わお、公演はいつですか。(演りません)
 
 
 
【悲しめばいい、ハサミもあるし】
 
「他者信頼」「自己受容」を説く哲人に、青年は食ってかかります。
裏切るかどうかは他者の課題で、自分にはどうにもできないと諦めろというのかと。 
裏切られた時の、怒りや悲しみという感情はどうするのかと。
 
哲人は言います。

「思いっ切り悲しめばいいのです」
 
そうです、悲しめばいい。
 
理想の自分になろうと前向きに生きるあなたを、
あなたが信頼を寄せた人が裏切るなら、
 
「いま、ここ」を精一杯生きようとするあなたを、
あなたの好きな人が嫌うなら、
 
そのときこそ、大手を振って、悲しめばいいじゃないですか。
 
大丈夫、あなたの手には、関係を断ち切るハサミもあります。
 
もし、あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切ってしまってもかまわない。断ち切ることについては、あなたの課題なのですから。p233~234
(クローソーを思い出す)
 
だいいち、一切の怒りも悲しみも避けて通れる真っ白な人生など、
それは幸福ではなくて無です。
(て、パームシリーズでレイフ伯父さんが言ってた)
 
 
 
 
【ただの正論じゃないか、というまとめ】

全体的に、ただの正論です。
 
むちゃくちゃ面白かったけど、
舞台化してほしいぞってくらい面白かったけど、
要は、ぐうの音も出ない正論です。
 
 
一読して、 
 
そんなこと知ってるよ、でも世の中そうじゃないんだよ、
人間って、そうじゃないんだよ、
 
と言いたくなる人は、たくさんいるでしょう。

 
で、アドラー先生の、哲人の、おっかないとこはね。
 
……そゆこと言う人たちは、今の自分の状況を変えたくないという目的のために、
この本の瑕疵を拾い集めてるんだよね~、
という、「ふふふ」がちゃんと控えてるってとこなのです。
哲人もちろん「そゆこと」なんて言いませんが「ふふふ」は言います。下心を感じます。
 
 
デカルトも言ってます。
 
欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている  『方法序説』
 
今の自分を、自分が選んだ結果だと認めて、そこから踏み出す苦しみよりは、
今の自分と付き合い続ける苦しみのほうが、耐えられるのです。
ラクチンだもん。つらくても。
 
 
 
Mi150218  
相田みつを トイレ用日めくり ひとりしずか
 

でね。
 
私にとっては、あなたがこれで『嫌われる勇気』を読まなくても、
読んだけど「けれどけれどでなんにもしない みつを」だったりしても、

それはあなたの課題であって、私には関係がありません。
 
それでも、これを読むことで、あなたがちょっと幸せになるなら、
あなたが今よりちょっと、生きやすくなるなら、
この世界は私にとっても、今よりちょっと、
呼吸がしやすい場所になると思うんです。
 
つまりちょっと、私の課題でもあるんです。
 

それだから私は歌いましょう。
 
マン・イン・ザ・ミラー。
プォー!

 
 
 
 
本日はご訪問、誠にありがとうございました。
 

 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行
 
 

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2015年3月 1日 (日)『嫌われる勇気』感想2@アドラー先生はどうだか知らないけど哲人は優しい

2015年2月 1日 (日)『嫌われる勇気』の、読前感想。

 


「美しくなどない 人生は残酷で苦痛に満ちている」というカーターに、
死ぬ間際のレイフ伯父さんが語る、
「お前には必ずわかる日が来るはずだ
 命は死とつながり
 死は命の中にある
 一点の血のしみも闇のにごりもない白いもの―――それは幸福ではなく無だ」
パーム17巻『愛でなくⅢ』p136~137
パーム30巻『蜘蛛の紋様Ⅰ』p160~161
 
パームシリーズは、私にとっては銀魂と並ぶ、
いつか子どもたちに読んでもらいたい漫画本です。
まあその、銀魂と並べると違和感パネェけど。
 
 

2015年2月 1日 (日)

『嫌われる勇気』の、読前感想。

「この本を読む前の私と、読んだ後の私は別人である」

と言うほかない読書体験があります。

 
それは、自転車に乗れるようになった私が、
乗れない私に戻るのは難しく、
乗れなかったときの感覚を説明することすら、
うまくできなくなってしまうような感覚に似ています。
 
読む前の私がどんなであったか、どうしても思い出せない。
『嫌われる勇気』も、もしかしたらそんな一冊になるかもしれないなあと、
そんな思いから、読む前に、いつもどおりだらっと、書いてみるのです。

【そのタイトルは、正直ピンとこなかった】 
 
まあその。
最初にタイトルを耳にしたときは、
読まねえな、
と思いました。
 
だって『嫌われる勇気』ですよ。
あの手の本かと思っちゃったのですよ。

他人の評価が気になって。。。
あるがままの貴女を出せずにいませんか?
それは。。。
貴女に「嫌われる勇気」が足りないから。
この本を読むだけで、
本当の素晴らしい貴女を

( ゚ 3゚)≡@ ペッ!!

ああ、すいません。
自分で書き出しておいて、途中でイヤになりました。
三点リーダーじゃなく句点を使ったあたりなんかもう、
ホントやり過ぎたと反省しております。
 
つまりその、お手軽な心理学とか自己啓発系の、
「読むだけで人生が変わる!」
「たった1分で自分が変わる!」
っていう、あれかと思ったのです。
 
書店のレジ脇で、お試し読み小冊子に出会うまでは。
 

「君はアルフレッド・アドラーを知っているか?」
 
ちらりと見たその問いかけに、呼ばれた気がして、
買った漫画と一緒に、ひょいとバッグに入れたのでした。
 
画像が粗いのは、家で手帳の脇にこいつを置いたとき、
「あれ、ペンのインクが出ないなあ」
と、ぐりぐりやった試し書きを隠すためです。
言ったら隠した意味ないけど。 

 
 

【あとから思う、出会いは運命だったって】 
※試し読みしか読んでません。
 
さてこの小冊子。
冒頭には筆者スペシャル対談。
アドラー心理学のことを、対談形式でざっくり解説してます。

以下、抜粋。

岸見 アドラーはそうやってなんの因果関係もないところに
原因を求めることを「人生の嘘」と呼びました。
たとえば「私は学歴が低いから出世できない」とか
「私の結婚生活がうまくいかないのは、
幼いころの家庭環境がよくなかったからだ」
といった話についても、
人生の嘘だとして明確に否定します。

 
ここらでもう、おんや? と顔を上げたのです。

アドラーの「劇薬」哲学だの世界がひっくりかえっただのと語られてるのに、
まったくそんな気がしない。
既視感があり、肌なじみのよい話です。

小冊子の後半は単行本のお試し読みで、
特に以下の部分で確信しました。

哲人 (略)「いかなる経験も、
それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック--いわゆるトラウマ--
に苦しむのではなく、
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのでなく、
経験に与える意味によってみずからを決定するのである
 」と。

 
これは、ABC理論ではないのですか?(リンク先はWikipedia「論理療法」です)

ABC理論は、まさに私が、
この本に出会わなかったら、いま、私は生きていないだろう、
という本、
『〈自己発見〉の心理学』で読んだものであり、
今でも何か悩みが勃発すると、
「待って待って、いま私はどんなビリーフを持ってるの?」
と使っているものです。

思いがけないところで人生の恩人に似た人に出くわし、
ドギマギするような気分で調べてみましたところ、

論理療法(ろんりりょうほう)とは、心理療法家アルバート・エリス(Albert Ellis)によって1955年頃に創始された心理療法の一つである。広義の認知療法では最初のものとされている。
 
理論
人の悩みは出来事そのものではなく出来事の受け取り方によって生み出されるものであり、受け取り方を変えれば悩みはなくなるというのが基本的なスタンスである。そして、それはABC理論とイラショナル・ビリーフに集約される。

(Wikipedia「論理療法」から)

なるほど、ずっと国分康孝先生で記憶してましたが、
ABC理論は論理療法の理論で、その創始者は、アルバート・エリスである、と。
 
で、アルバート・エリス、で調べると、
「アドラー心理学の影響を受け、北米アドラー心理学会の会員でもある。」(Wikiさん)
 
つまり、
私の命を癒し、救った温泉の、その源泉が湧き出る場所、
その地への観光案内を、まるきり偶然、手に取ったようなもんです。
いや、師との出会いに偶然はありません。
て、内田樹センセが言ってた。

運命の出会いに、しかし私は、
 

一抹の不安を、ぬぐい去れないのです。
 
 
 
【その「青年」からダメンズの香りを感じる】 
 
この小冊子によりますと、『嫌われる勇気』は、
「哲人」と「青年」の対話形式を採用しているとか。
 
えっと……、

全編にわたって、対話形式ですか?

いや、別に構わないんですが、
ずっとこの、哲人と青年のやりとりを読まされるのかと思うと、
不安なのですよ。
 
この青年、筆者対談では、
 

アドラーの思想を説く哲人に対して、
血気盛んな青年がありとあらゆる角度から疑問を投げかけていく

 
お試し読みの扉では、青年の独白調で、

この混沌とした世界がシンプルだと? 
人はいつでも変われるだと? 
しかも、いますぐ幸せになれる? 
……冗談じゃない、そんな議論はすべて偽善だ。
この苦悩に満ちた人生に、特効薬なんてあってたまるか。
徹底的に論破して、化けの皮を剥がしてやる。

なんかもう、すでに痛々しいじゃないですか。 
論破とか言っちゃってるあたりで、
なんかもう負けフラグがビンビンじゃないですか。

お試し読み本文でも、

青年 わたしの友人に、もう何年も自室にこもりっきりになっている男がいます。

それ自分のことだろ。

「友達の話なんだけどさー」ていう、
定番だろ。

などといちいち突っ込んでしまって、
まったくアドラー心理学が頭に入ってきません。

さらに哲人が、「原因論」と「目的論」の違いの説明を青年に迫られて、
たとえとして、風邪で高熱を出して医者に診てもらった話をするくだり。

 

哲人 (略)そして医者が「あなたが風邪をひいたのは、
昨日薄着をして出かけたからです」と、
風邪をひいた理由を教えてくれたとしましょう。
さて、あなたはこれで満足できますか?
青年 できるはずもないでしょう。
理由が薄着のせいであろうと、雨に降られたせいであろうと、
そんなことはどうでもいい。
問題は、いま高熱に苦しめられているという事実であり、症状です。
医者であるならば、ちゃんと薬を処方するなり、注射を打つなり、
なにかしらの専門的処置をとって、治療してもらわなければなりません。

なにをまんまと哲人ご期待どおりに
「できるはずもないでしょう」
なんて返答をしちゃってるのかと。
 
ほらもう、哲人てば、ほくそ笑んじゃって、
(そんな描写はない)
でしょ? 原因論もね、原因を指摘するだけなんですよー(笑)(笑)(笑)
(そんなセリフはない)
て、なっちゃってるじゃないですか。
(なっちゃったかどうかは分からないけど、きっとなってる)
(少なくとも(笑)1個分くらいは、きっとなってる)

 
 
もう、ね。
ちょ、おま、徹底的に論破しに来たんじゃなかったのかよ、と。
 
そこはさ、
 
「ただの〈薄着のせい〉なら、家で暖かくしていれば治ります。
 何でもかんでも薬を出し、抗生剤を出すような医者に比べたら、
 よほど真摯な医者だと思いますよ!」

くらい、言ったれよ!
抗生剤は腹下すから、
「とりあえず抗生剤出します」の
「とりあえず」にムキッってなるのよ!
(後半は私個人の腹事情です)

 
……いえ、それじゃあ話が続きませんから。
わかってるんですよ、青年の役どころは、
哲人に疑問を投げかけることで、
アドラー心理学をわかりやすくすることなんだって。

 
ただ、一応「論破してやる!」ていう血気盛んキャラのわりに、
まんまと哲人の思惑どおりの返答をしたり、
まあまあとなだめられて大人しく話題を変えたりして、まるで、
ときどき青年が、ちらっとこっちを見ちゃってる感があるのですよ。
ほら、こういう質問すると、わかりやすいでしょ?
みたいな。
 
なんかこう、

演技がイマイチなイケメン役者の芝居を見てる気分だなあって。
 
せっかくだから、
 
哲人:佐々木蔵之介
青年:三浦涼介

 
で、どうでしょう。
(どうでしょう言われてもな)
 
急いで付け加えますが、
三浦涼介の演技がイマイチなのではないですよ。
「演技がイマイチ」「時々観客のほうを見ちゃう」という演技を彼にしてもらったら、
きっと可愛かろうなあって。
(去年『ロンドン版ショーシャンクの空に』を観ました)

A6サイズの小冊子、試し読み箇所は扉をいれて9ページ。 

すでにツッコミ疲れを感じつつ、それでも私は、
『嫌われる勇気』を読もうと思います。
 
このおっちょこちょいな青年が、
どんどん哲人にまるめこまれていく様を、見届けたいのです。

きっとラストでは、滂沱の涙を流して哲人と熱い抱擁をかわすのであろうなあ。
(それは多分ない)

 
本日は、まだ読んでない本でぐだぐだ語るこんなところへご訪問、誠にありがとうございます。

 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行

 

 
でもやっぱりちょっと観たいわ、佐々木蔵之介と三浦涼介で。

 
 
関連記事:

2015年3月 1日 (日)『嫌われる勇気』感想2@アドラー先生はどうだか知らないけど哲人は優しい

2015年2月19日 (木)『嫌われる勇気』感想~アドラー先生はレリゴーを歌わない
読後、希望するキャスティングが変わりました。 
 

2014年11月30日 (日)

年末になると読み返しちゃう本『シゴタノ!手帳術』とToDo欄の使い方

世の中が来年の手帳でそわそわしているこの時期から、
私は4月始まりユーザーなので、発売される2月にかけて、
さあて、次の手帳はどう使おうかなと、
必ず手にとって、パラパラと何度も読み返す本があります。

年末になると読み返しちゃう本『シゴタノ!手帳術』
最初に読んだとき、
「ほぼ日手帳カズンのファンブックじゃねえか」
とか言ってごめんなさい。
それをRTされて、んぎゃ、てなったのも良い思い出。
でも間違ってはいないはずだ。
 

ほぼ日手帳カズンを使うにあたって、公式のガイドブックもありますけども、
なんかこう、あれって、
 
レシピ本で、うわあこれ美味しそうってなって、
作ってみようかと読み込んでいくと、
なんじゃこりゃ、こんなのやってられっかい、
と本をキッチンの床に叩きつけたくなるような、
 
見ていてわくわくするけど、マネできる気がしない感てんこもり、
だと思うのです。

そんなわけで、ほぼ日手帳カズン的ベストバウトは、
こちらの『シゴタノ!手帳術』だと申し上げたいのですよ。
や、確かに倉下氏と北氏お二人の本だけど、とくに試合はしてません。

 

【ToDo欄の使い方】

楽しく自由に使うこと(p146~)

あるときは体重の記録を付けているかもしれませんが、次の日には1日のコーヒーを飲んだ回数を書いているかもしれません。読書メモを書いていた部分に、マインドマップを描くかもしれません。気に入ったシール、初めて入ったカフェのレシート、映画の半券も気ままに貼り付けています。(p147)

ここを読んでいて、思い出しました。
ほぼ日手帳ユーザーとなってまだ浅い頃、
手帳使い始めのときに自分で設定した使い方のルールが、
年の途中でしっくりこないことに気付き、
それで書くのをやめてしまっては、
挫折挫折ゥ! と身をよじっていたのでした。

今はですね。
あ、これやっぱ違うわ、てなったら、さっさとルールを変えています。

カズンにしてからは、バーチカルの週間ダイアリーの使い方で試行錯誤しましたが、
おおむね自分を予約する手帳術+さとうめぐみさんの手帳セラピーで落ち着きました。

が、まだ週間ダイアリーで、落ち着いてない箇所があるのです。

日付の下にある余白と時間軸との間にある、チェックボックス3つ。
どっからどう見ても、その日のToDoを書くとこだろ、
という、そこ。

素直に、ToDoを書いてた時期もありました。

が。

私、そこ、見ないんです。

常に、時間軸の、今とかこれからのとこを見て、
予定をチェックするばかりで、
その日、どこかでやろうと思って書いたはずのToDoを、
見ないんです。

その点で、
「ToDoリストは作らない、やれそうな時間軸内に直接書きこむ」
という自分を予約する手帳術は、ものすごく私に合っていたようです。
 

 
【食べた物を記録してみよう】

で、ToDoリストとしての使い方には挫折し、
そうだ、
レコーディングダイエットにしよう、
朝昼晩と、食べた物を書く欄にしよう、と。

レコーディングダイエットは、『いつまでもデブと思うなよ』(岡田斗司夫氏)で紹介された、
飲み食いしたものを全て記録するというダイエットです。
岡田先生、もっかい痩せてみせてください。
と言いたいとこですが、痩せた岡田先生は「惚れてまうやろが!」
という感じだったので、別にリバウンドされた今のまんまでもいいです。
 
いえ、岡田先生のリバウンドと、私の、
そうだ、レコーディングダイエットしよう(JRのCM風に)
の挫折とは関係がありません。

あのう……飲み食いしたもの、全部書くわけじゃないスか。
 
あのう……
 
欄が、広さが、足りなくて。
 
飲み食いしたもの全部書こうとしたら、

 
あのスペースに、書ききれなくて。

どんだけ食ってんだ、それ理由に挫折してたらそりゃあダイエットにならんよな!

 
 
というツッコミは、
 
 
自分でもわかってるから受付を終了しております。(涙目

ジブン手帳にも食事を書く欄があって、サイズはA5スリムで幅は足りないけど2行だから、
これなら書けるかも、と軽く希望を持っていたことは内緒だ。


 
 
【ぬか漬けのことを記録してみよう】

その後しばらく、その欄は使わないままでしたが、
最近、ぬか漬け、はじめまして。 (あ、ぬか床復活しました。その件はまたいずれ)
 
なにしろ忘れっぽいので、冷蔵庫のホワイトボードに、
漬けこんだ野菜とその日時を書いておりました。
しかしこれ、たとえばキュウリなら○時間で、大根なら○時間がちょうどいい、
とかいう記録をとっておきたいなあ……

そうだ、

Mtodo

ここに、書いてみよう。

あのう、日付的に、発酵しすぎてエレキぬか床になった翌日にはもう、
こんぶだ干ししいたけだニンジンだと、
なんか色々とつっこんでることがバレますが、
ぬか床リカバリのためです。本当です。


ちなみにこの、23日21:00に漬けこんだニンジンは、
27日20:00に引き上げて、少々しょっぱいけど、いけました。
画像は、書いたときに撮ったものですが、
いまはちゃんと、「にんじん21:00→11/27 20:00」と書いてあります。
無事にぬか床が復活したし、これから寒くなるし、
冷蔵庫か常温かも書いとかなくっちゃな、
と思っているところです。
 
 

と、まあ、このように。
一年の間で、あれこれ試してみても良い手帳なんだなって、
改めて、気付かせてくれるのです、『シゴタノ!手帳術』。
 
 
【特に、自由さに疲れてしまった人に】 
 
自由は、疲れるもんです。
自分で決めなくっちゃいけないですもん。
そりゃあ、「ここはこう書こうね(ニコ」てされたほうが、
ラクチンには違いありません。
最初に設定した自分ルールがうまくいかず、
それで疲れてしまう、というだけではなく、
試行錯誤そのものに疲れてしまうのも、
当然あるかと思います。

けども、その、よれよれと歩いた足跡そのものが、
そのときの自分の、リアルな記録です。

あ、ここらへんはカーネル式にかぶれてたんだな、
このあたりは、1日1ページをスマートノートとして使えないか試してたんだな、
あ、ToDo欄じゃなく1日1ページでレコーディングダイエットやろうとして、
結局スペースがあっても面倒だからってやめたんだな(ダメじゃん)
とか、定まっていないこと自体から、そのときの私が見える。

「三日坊主な私」も、あとで読み返せば笑っちゃうライフログです。


ほぼ日手帳は「自由」だけど、
その自由さの解釈を、自由自在にする術を、
『シゴタノ!手帳術』は教えてくれました。
 
4月始まりの発売が始まる2月1日まで、
もうしばらく、パラッと、何度も、
読み返すことになりそうです。

おすすめ。

本日はご訪問ありがとうございました。

  何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行 

 

 

 

関連記事:

2014年11月23日 (日)こんなあんばいで使ってます週間ダイアリー@ほぼ日手帳カズン

2014年11月12日 (水)やっぱりジブン手帳への乗換列車から飛び降りた7つの理由

2014年11月 3日 (月)ほぼ日手帳て体育館のようだ、と思ったらなんか腑に落ちたのでその思いつきをだらっと書いておく。

2014年10月13日 (月)ほぼ日手帳カズンを分解、やってみたらばあっけなくキレイにできてしまったので正直、動揺している。

2014年9月22日 (月)私がほぼ日手帳カズンからジブン手帳へ乗り換えを決めた7つの理由

2014年5月19日 (月)今年の目標イヤープラン@ほぼ日手帳カズン

2014年1月19日 (日)こんなあんばいで使ってます@ほぼ日手帳カズン

2014年9月28日 (日)

秋田の学力テスト日本一を育てる「修学旅行団安否」CM

Yes! 見切り発車!(tksクリニックCM調で)

ふわっと思ったことを、そのまんま実証済み事項であるかのようにタイトルにしてみました(挨拶)

ごく最近「7つの理由」とタイトルに書いて、3つしか上げられなかった教訓を無駄にしています。
   
や、だってね、プレジデントファミリーのバックナンバー記事で、

「秋田が学力日本一」はウソ!? 四谷大塚・全国統一テストを詳細分析
(2011年12月号)
秋田は学力テスト日本一なのに、大学・短大進学率は33位、
都道府県別の「東大・京大合格者数ランキング」では40位、四谷大塚が行う「全国統一小学生テスト」の都道府県別ランキング40位。
「これだけを見ると、秋田の子供の小学校時代の高い学力が、その後ガタガタと下がっているような印象を受ける。」引用

 
ていうのを見つけてしまいまして。
こんなふうに、思ったのです。

 

私の出身地、諸君らが愛してくれたアキタ(小学生の学力日本一)は、
大学進学率が低い!

何故だ!

 

「……ビンボーだから(大学行かないの)さ」

うん、せっかくだから、ギレンの演説風にキメてみました。
 
キメてみただけで、論破しようとは思ってません。

そりゃあたまに「燃え上がれ郷土愛」月間がはじまる私ですから、
カッとなって、
あちこちサイトをめぐって、こんなもんを作ってみたりもしたんですよ。
Juni
新・都道府県別統計とランキングで見る県民性
順位をこちらから拾わせていただきました、ありがとうございます。
四谷テストの順位上位10は、上記プレジデントファミリーの記事から拾いました。
学力テスト1位の秋田は、年収45位、進学率34位、通塾率47位です。
 
学力テストの順位で都道府県をならべて、
それから年収等の順位を横に書いてみました。
そしたらですね。
なんか、わりと、気が済んじゃいました。
 
だってこれ、進学率は年収と相関関係があるし、年収は入塾率とも相関関係があって、
学力テストは、あんまし関係ないよね?
という、ふわっと、
なんか、そうなんじゃないかなー、と思ってたことが、
この順位を眺めていると、やっぱりそうだよねー、という気分になるし。
似たような順位関係の青森県を、全力でハグしたくなるし。
 
それに、「大学全入時代」(リンク先はwikiさん)で、
「しかし、実際には2000年頃から既に入る大学・学部さえ選ばなければ、経済問題などを除く入学選抜のみの点では、誰でも入学できる状況になっている。」  
と書かれてるのが本当なら、
大学への進学率を持ち出して、学力が云々というのは、
 
          /)( ◕ ‿‿ ◕ )(\<わけがわからないよ
 
まあ何を言うにも「学力」の定義をしていませんので(本誌で定義していたらごめんなさい)、 
どっちみち「学力テストの順位」は秋田県が1位であって、
いや、大学進学率こそ「学力」の指標なのだとおっしゃるなら、
秋田県の学力は下から数えたほうが早いってことですよね、わかります(鼻をほじりながら)
 
それにつけてもこの記事は、
秋田県の学力テスト1位が話題になった当初、どこかで読んだ、
通塾率最下位の秋田県の子どもたちが、学力テストで1位なんて、あってはならない。
学力テストそのものに重大な誤りや偏りがあるのではないか、結果の公表を見合わせるべきではないか、という意見が関係者間でかわされた。
なんていう、ホントかどうかはわからない話について、
真偽はともかく、ありそうな話ではあるよなー、
という感慨を新たにしました。
受験産業のうち進学塾の方々などには、
秋田県の1位は面白くない結果ですよね、わかります。(2回言った)(鼻はほじってません)

 
 
 
  
え、さて。
ようやく本題です。(前置き長いのは仕様です)
トイレ休憩とコーヒーと、呆れてブラウザバックは、今のうちにどうぞ。さあどうぞ。
 
 
 
【○○校の修学旅行団は全員無事に本日の宿舎に到着しました

 
トリビアの泉で紹介されるまで、全国区だと思ってました。
こういう、修学旅行生たちの安否をCMで流すの。
 
これね、安否確認だけが目的なら、
いまどき誰でもスマホ持ってるだろうから一斉メールでいいじゃん?
というご意見も、わかるんです。
や、実際は、いまどき誰でもスマホ持ってるわけじゃないのよ? とは言いたいですがね。
 
けど、これ、違うんです。
 
おらほのわらしだち
 
が、いま元気にネズミーランドを楽しんでるよ、
とか、
みんな無事に、今日の宿泊先についたよ、
とか、
ほかでもないテレビCMで、
同じ秋田県民だという共通項しかない皆さんにも等しく知らせることで、
 
ふわっと、
 
秋田のわらしだちへの、気持ちを育てる。
 
他県比0.3%くらいかもしれませんが。
 
ふわっと、そのCMの間、
 
そっか、
ふうん、
 
と、おらほのわらしだちへ、思いを向ける。
 
もちろん、
あのCM見たからって、そんなこと思わねえよ、
というむきもいらっしゃいましょうけんど。
 
修学旅行の季節になると、決まって、
全員元気でナントカカントカです。ご安心ください。
というCMが流れるのは、サブリミナル効果、くらいの何かは、
もたらしてんじゃねえかなって。
  
秋田県民は、修学旅行団安否CMで、ふわっと(問題:ふわっと、と何回言ったでしょう)
子どもたちへ思いを向ける習慣を、
知らず知らず持ってるんじゃないかしらん。
ということを踏まえまして。
 


 
【どうして塾に行かない秋田県の子どもが、学力テスト日本一なのか】

私が「それはこういうわけですよ☆」と言える程度のもんなら、
他県の教育委員会もとっくに発見して、マネしていましょうもん、な。
さらっと、ふわっと、読み流してくださいませ。
 
でね。
 
塾に通う率が最低である以上、
日本一の理由を、家庭学習や、学校教育の内容、教員の優秀さに求める本や雑誌の特集などは、
たびたび見かけておりまして。
 
そのどれもが、必要条件ではあるだろうな、と思います。
あ、東京都教育委員会は、小学校の教員採用について秋田県と連携協定を結んでいるそうですね。
 
ところで、
塾のカリスマ講師の授業をDVDで受けることができる!
というのは、大手学習塾では、まだやってるのでしょうか。
検索してみると、映像授業とかDVD教材っていうのがひっかかってきますが、
これがそうでしょうか。

どうして「まだやってるのか」なんて言い草をしちゃうのかといいますと、
やはりどっかで、
カリスマ講師の授業をDVDで売るとか、意味ないでしょプークスクスッ
というのを、読んだことがあるせいです。
いわく、
 
カリスマ講師がカリスマたるゆえんは、その場の生徒たちの反応を感知して、その理解度をはかり、授業にリアルタイムでフィードバックする能力のためであるからして、その反応が講師に見えないDVD受講生は、カリスマの恩恵を受けることはできない。
 
とかなんとか。
うろ覚えの記憶で書いてますが。
 
それが、やはりそうなんだろうな、と改めて思ったのは、この本を読んだためです。 
 
著者が、相手の態度、様子を見てとって、自分のアプローチに適切にフィードバックしていく描写に、
そして、それがさも誰にでも備わっている能力であるかのように、当然のことのように、
さらっと記述されているのが、私には印象的だったのです。
 
……んだどもな。
 
そんなに誰にでもできることじゃあない、と思うんですわ。
相手の反応に、そもそも気が付けること、
それを的確に読み取って、適切な対応として返せることって。
 
ここでようやく、修学旅行生の安否CMに話がつながります。
 
あのCMで、毎年何度となく、
まったく他人の子どもたちの安否を「ご安心ください!」と知らされてきた子どもたちは、
ふわっと、うっすらと、
他人に心を向けることが、簡単に、当たり前のようにできる大人に、
なるのじゃないかしらん。
  
あ、そんなことはない、て秋田県民が言ってもムダっすよ。
他県民と数値で比較できることじゃないし。
県民すべてがそうなら、県内でハッキリするのはその有無ではなく程度の問題だけだし。

 
もちろん、他人にふわっと気持ちを向けることができるからといって、
ただちに相手の反応を読みとったり適切なリアクションを返す能力が育つ、
てもんじゃあ、ないと思います。
 
それでも、そういう能力に対して、1歩、近いところにいられる気がします。
そういう県民が教員であり、家庭学習につきあう親である、
というのは、
塾に行ってないのに、何故か学力テストの順位が良い、
ということへの、答えに、
なりませんかねえ。
だめ?
 
なにしろこれは、検証できない仮説です。
あのCMをやめて、その存在すら知らない世代が親と教員の大半をしめたとき、
秋田の小学生の学力はどうなっているのか、
なんて、何年先に調査できるというのでしょう。
しかも、結果、
やっぱ、あのCMってサブリミナル効果があったんじゃね?
なんてことになったら、そのときはすでに、
取り返しのつかない事態になってるってわけでしょうし。
 
だから、今後どこかから、
いまどきみんなスマホとが持ってるべがら、一斉メールでいいすべ?
という意見が出たとしても、
ちょっと待っていただきたいのです。
 

ちなみに私自身は、自分が修学旅行に行った先でふと、
いまごろ、あのCMが流れてんのかな、と思ったら、
ああ、こういうことか、私たちは、大切にされてんだな、
と、ふわっと、
感じたことを覚えています。
 
 
……ええ、そろそろ諸兄姉がお察しのとおり、
長々と、だらっと記してきたこの記事は、
 

 
「○○校修学旅行団は全員元気にナンタラカンタラで遊園中です。ご安心下さい。」
ていうCMが、
 
秋田県だけって、

 
なんか気分が良いから、

 
 
やめないでくれ。
 

……と、主張したいがための、記事なのです。
 
どうも、なんとも、
 
ごめんなさい。
 
 
 
 
 
     何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行



今年も修学旅行の安否CMを流してくれた諸々の関係者さまに、感謝を。
ここまで読んでくださったあなたにも、あふれる感謝を。
 
 

2014年8月29日 (金)

『ALL YOU NEED IS KILL』小説とコミックを読んだので偏見にまみれた「映画版はきっとこんなんだぜ」を書いてみる。

コミック版1巻を貸してもらったら、続きが気になって原作であるところの小説を買い、一気読みしてコミック版2巻も読んで、
今度、映画版も、観に行くのですよ。うへへのへ。
 
ちなみに私の映画版に関する知識は、
・多分ハリウッド映画なのよね?
・主役二人のビジュアルは知ってる(小説のカバーとか映画のポスターの)
以上。
 
きっとネタバレしますので、これから楽しむ予定の方は、イマココでお戻りください。
 
……読み終えたあと、30時間前に戻る現象は起きませんから。
 
 

え、さて。
 
【ラストシーンのこと】
 
のっけからラストの話をしますけども。
 
映画では、
「くそったれな世界のルール」を破って、実は生きてましたハッピーエンド、
とまでは、さすがに改変してない、
と、思いたい。
 
思いたいけど、
 
カビたコーヒーを飲み干したケイジの目に、
スカイラウンジから見える風景に、
リタらしき姿を見つけて、
なんかこう、奇跡、起きちゃった!?
 
……みたいな引きで、
パンッて暗転してハッピーエンドな匂いふりまいてエンドロール、
くらいは、
やりそうだなー、と思っちゃう。
思っちゃうんですよ。
 
このへん、説明が必要になるんですけども。
長くなりますが、よかったらおつきあいください。
 
岡田斗司夫氏のゼミをニコ動で見ていたら、
アナ雪についてこんなあんばいのことをおっしゃってたんです。
 
いわく、せっかく引きこもって楽しく暮らしてたエルサがラストでは戻ってきちゃって、
魔法は観光資源に使えちゃうし、あら幸せ。
 
「おまえらそんなにハッピーエンドが好きか(笑)」
 
もののけ姫でさえ、サンは森で、アシタカはタタラ場で暮らそうっていうのに、
サンが里におりてきちゃって一緒に暮らして「うーん、案外幸せ☆」みたいなもんだろ、
というようなことを。
 
これで、バーンとよみがえった記憶があったのです。
 
実は私、
『七人の侍』(リンク先はwikipediaです)
大好きでして。
 
映画館とレンタルビデオとレンタルDVDで、計15回以上は観てるんですけども。
あ、おっしゃりたいことは分かります、さっきAmazonでポチしました。いいかげん買います。
 
でね。
 
そんだけ好きなら、ハリウッド・リメイクという『荒野の七人』(リンク先はwikipediaです)も、
おさえとくべきかな、と。
観たんですよ。
 
いや、その前に、オリジナルである『七人の侍』のことをざっくりと。
 
度重なる野武士の略奪に耐えかねた百姓たちが、
七人の侍を雇い、この侍たちが見事、野武士たちを全滅させる、というお話。
この侍の中の最年少で、まだ前髪の子。
この子が、村の百姓娘と恋仲になる。
しかも決戦前夜に、前髪の子(勝四郎くんといいます)ったら、
 
になっちゃう。
(アァ~ン、とかいう色っぽい効果音をいれたいところ)
 
戦い終わって、喜びながら田植えをはじめる百姓たち。
娘は、ほんの一瞬、勝四郎と目を合わせるも、そのそばをすりぬけていき、
田植えにくわわると、高らかに田植え唄を歌いはじめる……。
拒絶ととれる娘の態度に、なすすべなく立ち尽くす勝四郎。
そして勘兵衛の有名なセリフ。
 
「また負け戦だったな……
「勝ったのはあの百姓たちだ……わしたちではない……」
 
 
これが、リメイク版の『荒野の七人』になりますとね。
やはりうら若いガンマンと、村の娘とのラブロマンスがあるわけですけどもね、
ラスト、当該シーンにおきましてはですね、
 
こんなあんばい。
 
野武士に相当する盗賊たちを追い払い、村人たちが喜ぶなか、娘はうかぬ顔。
結ばれたあの若いガンマンは、きっと村を去っていくのだろう……
と、そこへ、若いガンマン、娘のうしろに立ってニッコリ。
それに気付いた娘、振り返って、彼がこの村に残るのだと悟り、はにかむように微笑む。
そして、
 
「また負け戦だったな……
「勝ったのはあの農民たちだ……俺達ではない……」
 
 
うん、待って。
なんだろ、この湧き起こるトッテツケタ感。
 
この記事を書くために、Wikipediaさんでおさらいしてみたところ、
武士は身分であって、ガンマンは身分ではない。
七人のなかの最年少者が村娘と恋に落ちるという流れは一緒でも、
その違いが、オリジナルである侍は別離、ガンマンは村に残る=農民になる、
という結果に……とのことで……
 
  
あの、ごめんなさい、
 
ハリウッドさんが、ハッピーエンド大好きっ子なだけなんじゃねえの?
 
って、思っちゃったのですよ。
  
ええ、 
長々とお付き合いさせてしまいました。
 
というわけで、先に書きました、
ラストシーンはハッピーエンドっぽく見せかける演出をしちゃうんじゃねいのー?
となるのです。
信じてないのです。
 
それでもさすがに、
 
「このままずっと繰り返せばいいじゃないか」
「同じ一日をか? 毎朝おまえは、見知らぬリタ・ヴラタスキと会うのだぞ」
「それでもかまわないよ」
 
……………… 
 
「……そうか、それも悪くない」
 
 
て、やるはずがないよねええええええ!?
そんな血みどろハッピーエンドは、お好みじゃあないはずですもんねええええぇぇぇぇぇぇぇぇ(フェイドアウト
と。思う程度には、信じてます。
 
信じてますったら。 
 
  
【梅干しのこと】
 
リタとケイジが梅干し大食い合戦、いやチキンレースか、をするシーンがあるんですけども、
映画にも、ありますかねえ?
 
トム・クルーズの外見からして、そもそも舞台は日本じゃなくなってるかしら。
したらば、食事に梅干しが、というエピソードは、
 
……や、無くせはしないんじゃないかな。
リタとケイジがうちとけるエピソードなので、ここ削ったら、
ほら、大好きなラブロマ~ンスに持ち込めないんじゃないかと。
 
しかしまあその、
可愛い女の子が梅干し食べて酸っぱさを痩せ我慢してチキンレースを挑むなんてね、
 
ラノベだな!
 
いいぞそういうとこ大好きだ!
 
ハリウッドがここをどう処理するのか、まったく想像がつかないので、
これは映画で注目することとします。
 
 
【体型およびキャラのこと】
 
そう、小説は、原作は、ラノベなんですよね。
女の子、可愛いんです。少女なんです。
少年少女に地球の命運あずけちゃうのは、日本の文化か病気かなんかです。
あいにく、キライじゃないんです。
内田樹先生がそのへん考察した文章があったと思うのだけど、それはまた今度。
 
でね。
 
宣伝用かなんかのムービーにリタ役として登場するのは、ブロンド美人でグラマラス。
実際のリタは似ても似つかぬ小柄でツルペタという描写がありまして。
あ、ごめんなさい、ツルペタは個人の印象です。
イラストだと、Aくらいはあると思います。
 
このリタが、原作そのまんまじゃなさそうなのは、ビジュアルからなんとなーく感じられます。
それとも、エミリー・ブラント(リタ役)って、少女っぽいのかしら。あちらの感覚では。
ついでに言うと、ジャケットが、小説で描写されてるほど真っ赤じゃないように見える。
  
それと、そのリタの専属技術者であるシャスタ。
この子がですね、
メガネ、ミツアミ、ドジっ娘キャラです。
 
……ハリウッド映画で?
 
ドジっ娘?
 
 
ないないないないない。
 
 
男性にしちゃうか、せいぜい『アリー my Love』のレネみたいなキャラをあてるんじゃないかと推測しております。
 
 
【実事はあるのか】
 
リタとケイジが、一晩、一緒に過ごすシーンがありましてな。
 
小説では、そのへん、うまいことさらっと書いてあったので、うっかり読み流してしまいましてな。
 
コミック版では、リタのお尻に軽くドギマギしちゃってるような描写があって、
 
ありゃ?
 
と思ったのです。
 
コミック版では、本当に語りあって眠っただけ、のような印象ですが。
改めて小説を読み返すと、
寝起きのケイジが、リタを見ているうち「わけもなくまぶしく」なったり、
それと、奇襲にあったときの、
「コ……コーヒーが冷える前に片をつけられるかな?
というケイジの台詞。
 
これ、「コ……」がなければ、
 
あ、ゆうべ、ケイジのやつ男になったな、間違いない。
 
と思うとこですわー。
調子にのりっぷりが、そんな感じになるんですわー。
 
けども、ちょっと噛んでる。「コ……コーヒーが」て。
それだもんだから、ちょっと軽口たたいてみただけなのか、とも思われる。
悩ましい。
どっちなんだ。
ハッキリしないとこがまた、醍醐味かもしれませんが。
 
ここまで、小説とコミック版の話。
問題は映画版ですよ。ハリウッドですよ。
 
 
つか、
……どーせ、むちゅむちゅシーンくらいは、はさむんじゃねいのー?(鼻をほじりながら
 
 
 
はい。
 
というわけで。
  
私のハリウッド映画への偏見を最大限披露したところで、
 
映画を観てから、ちゃんとゴメンナサイします。
 
と宣言して、本日はこのへんで。
ご訪問ありがとうございました。
  
や、だって、すみからすみまで、
ほらー! 思ったとおりー!
なんてはずないし。
最初から、観たあとのごめんなさい記事も書く所存ですよ。
 
 
 
 

 
 
 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行
 
 
 
近所の映画館ではもう上映してない、とツイッターで嘆いた私に、まだ上映してる映画館情報を提供してくれたお友達に、感謝を。

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2014年6月 6日 (金)

夏は早起き習慣を身につけやすいって、そういえば早起き術的な本で昔読んだ。

やれやれだぜ。
夏は、睡眠時間が短くてもオッケーなんだとよ。(
 

はい。
え、さて。 
 
おはようございます。
 
最近、近所の烏骨鶏だかチャボだかニワトリだか、
あるいは謎の生命体だかの鳴き声で目が覚めます。
なんだか知りませんが、5時前後です。
 
これは不思議。
 
だって、ご近所さんは最近謎の生命体(仮)を飼い出したのではなく、
もうずっと長く一緒に暮らしているそうなのです。
 
私が今の、ご近所さん側に面した部屋で寝るようになったのは、
去年の秋からですが、
そのときにはもう、今朝のようにそりゃあもう、
 
 
グォゴルルルル……ゴゴゴゴゴゴ……
 
 
と鳴いてたはずなんです。
もしかしてクトゥルーかしら。やだ怖い。
承太郎なら息子として迎えにいきますが。
 
 
それにしてもなんでここ最近になって、急に鳴き声で目が覚めるのかと思っていたところ、
半身浴用に選び出した本にそれらしいことが書いてありました。
 
 
  
『疲れない体をつくる免疫力』
著者の安保徹先生の起床時間は4~6時。
なぜ幅があるかというと、夏と冬で起きる時間が違うのだそうで。
夏は4時起きですって。睡眠時間は6時間。
 

その前段で、
一日の疲れを取り去るためには、睡眠時間は7~8時間は確保してほしい、
と言いつつ、夏は6時間。
でもこれで充分。
それは何故かというと、
 
夏は、気温が高く気圧が低くなっているので、副交感神経が優位になりやすく、その分疲れにくいのです。(p154~155) 
 
なるほどそれで、秋冬春の間は、
ゴゴゴゴゴゴより眠さが勝ってまったく目が覚めず、
暑くなってきた最近は、
5時前後でもゴゴゴで目覚められるくらいには、
睡眠が足りている、ということなんでしょう。
 
 
いや、眠いけどな。
正直、いま眠いけどな。
 
だいたい目が覚めるつったって結構もーろーとしたもんで、
目覚めて30分くらい、
 
起きてEテレつけたらチャボが鳴き交わしてるだけの映像が延々流れてる、
 
というシュールな夢を見てましたわ。
夢の中だというのにすごく戸惑ったわ。
ウゴウゴルーガでもそんなコーナーなかったわ。多分。 
  
 
そんなわけで、早起き習慣を身に付けたいとお考えの紳士淑女及びセレンディてぃあ
 
 
 
 
 
……お考えのかたは、夏場がチャンスかもしれませんですよ、ええ。
 
 
 
セレンディピティって、心に呟くのでも噛むのだから、
そりゃあタイピングでも噛むのです。
なんでおれ、そんなまともに言えもタイプもできんことを話題にしようとするのだろうか。
(セレンディッポの王子の奇行が気になるからです)
 
本日はようこそご訪問くださいました。
Eテレ、片桐仁さんを思いがけず見られたりするから好き。
 
 
 
        何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる     西行
 
 
追記:
地元の方に伺ったところ、謎の生命体は、
一昔前はよく逃げ出してその辺を徘徊していたそうです。
で、なんなんですか、と聞いたところ、
よくわからなかった、ですって。
やだ怖い。
スタンドかしら。

 
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2014年5月24日 (土)

セレンでぃぴてってっの謎(噛んでる

ニコ生じゃなくてよかった(発語したら間違いなく噛むレベル)。
 
  
セレンディピティという言葉があります。
 
ライフハック系のサイトを経巡っておりますと、何度となくセレンディピティという聞き慣れない言葉にぶつかりました。
調べてみました。
 
セレンディピティ(英: serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見する「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得、幸運をつかみ取る能力のことである。Wikipediaから

 
まあ、ふーん、というか。
わかるようなわからないような。
 
色々と読んでみてもイマイチこう、
 
「Oh,ジェイク! 君はなんて素晴らしいセレンディピティの持ち主なんだ!(親指を立てる」
 
みたいな使い方ができるほどには意味がぴんときません。使う予定はないけど。
 
 
そこで、セレンディピティの語源である物語、
『セレンディッポの三人の王子』
 
読んでみました。

 
もうちょっとwikiさんから。この言葉が生まれた手紙の内容を引用しますと、
 
王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、彼らがもともと探していなかった何かを発見するのです。例えば、王子の一人は、自分が進んでいる道を少し前に片目のロバが歩いていたことを発見します。なぜ分かったかというと、道の左側の草だけが食べられていたためなのです。さあ、これで「セレンディピティ」がどのようなものか理解していただけたでしょう?
 
  
うん、そこなんですよ。
 
王子たちが、行く先々で、もともと探していなかった何かを発見する。
 
私が読んだ本ではロバではなくラクダだったので、以下はラクダでいかせてもらいますがね、
 
ラクダに逃げられたというラクダ引きに出会い、王子たちは見ていないにもかかわらず、その聡明さから、逃げたラクダの特徴をピタリピタリと言い当てる。
 
そのラクダの特徴とは、こんなでした。
 
・片目である。→道の左側の草だけ食べられている。
・歯が欠けている。→噛みちぎられた草の痕に歯一本分の隙間がある。
・足が悪い。→足跡のうちはっきり見分けられるのが三本だけ。
・積荷は片側にバター、もう片側にはハチミツ。→道に1マイルもの間、片側に蟻の大群、片側に信じられないくらいの数のハエ。
 
特徴はもう少し続くんですけども。
 
やあジェイク。とりあえずここで一度、聞いてもいいかな? (誰
  

 
そんなヨレヨレなラクダにどうして逃げられたんだいジェイク? (ジェイクはラクダ引きではありません
 
しかも積荷を垂れ流してたんならその跡をたどればよかったんじゃないかいジェイク?(ジェイクはAVANTIの前バーテンダーです。いつの間にラジオ終わってたん?
 
そのうえラクダは女を乗せていて、しかも妊婦ですと。
これも王子たちはピタリと当てるのですが。
 
……乗っているのが女だと分かったのは、
 
ラクダから降りて小用をたした跡があり、
 
そこに指をつっこんで、
 
尿の臭いをかいだら、
 
たちまち肉欲がわき起こったから、
  
ですって。
 
  
やあ、聞いていいかなジェイク?(ジェイクは王子でもありません
 
何故そこまでしたの?
 
もはや道すがらの観察じゃないよね?
 
実験だよね?
 
 
何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力っていうけど、
 
老若男女誰のものかわからぬシッコ跡に指つっこんで、
 
何を探してたのジェイク?(指つっこんだのは王子です 
 
 
尿嗅いで肉欲はさておき、道程でシッコ跡を見つけたので指つっこんで嗅いでみるっていうのは、もはやこう叫ぶほかありますまい。
あたしの歌を、聴けぇ!(歌いません
 
 
  
まあその。
 
セレンディピティの概念がなかなか腑に落ちず、セレンディピティ~な話をキラキラ語るブログやサイトを色々読んだつもりですが、語原となったこの昔話についてくわしく言及しているのにはついぞ出会ったことがありません。
 
 
その理由が、わかった気がします。
  

二番目の王子(指つっこんでシッコくんくんした方)の性癖が気になって気になって、
 
 
セレンディピティどころじゃないですもん。
 
 
そうそう、この王子はインドの女王に気に入られて、婿入りするのです。
インドの女王の寝間が安らかなものでありますよう祈ります(なんの心配
 
 
お話の結末では、三人の王子がそれぞれの王国を支配することになりめでたしめでたし。
 
つまり跡を継ぐべき父王の王国のほか、インドと、ラクダ引きに出会った帝国までも、この王子たちは手に入れたわけですね。
 
そのきっかけとなった事件は、ラクダ引きがこの三人を、ラクダを盗んだとして裁判所に訴えたことでした。 
ラクダの特徴を言えるのに肝心のラクダが見つからない、この三人がラクダを盗んだに違いない、という理由で。
 
これが皇帝の耳に入り、立腹した皇帝が直々に王子たちを尋問。
しかしラクダが見つかり、皇帝は王子たちの聡明さに感服し……と話が続きます。
 
  
……さっきも言いましたけど、このラクダ引き、
 
本当にラクダに逃げられたの?
 
よれよれで荷物積んで妊婦まで乗せたラクダに?
 
しかも特徴を言い当てたから盗んだに違いないって?
 
 
 
 
 
 
……じっちゃんの名にかけて、
 
 
謎は全て解けた!
 
 
共犯者はラクダ引きだ!
 
 
 
 
 
 
え、さて。
 
毎度のことですが、こんなところへご訪問まことにありがとうございます。 
 
セレンディピティがいかなる概念かについては、たいへん恐れ入りますが各自でお調べください。
あ、本は面白かったです。
 
ではこれにて解散。
 
 
 
     何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる   西行
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2014年5月10日 (土)

村上春樹忌避者は笹まくらの夢を見るか

ほら、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いっ
て、言うじゃありませんか奥さん。
 
村上春樹が苦手です。
読まず嫌いのまま、三十路を抜けて四十路に入りました。
 
 
十代の頃、
「え~、昼休みに本を読むなんて、ガリベンwww プークスクスッ」
 
と私のことを笑っていた少女たちが、
ある日、
背後からダーッと走って来たかと思うと、
私の後頭部を鈍器のようなもので殴り倒し、
背中をどかどかと踏みつけ、
駆け抜けていき、
いったいなんの天変地異かと倒れ伏したまま見上げた先に、
 
「キャーッ! ノルウェイの森サイコー!!」 
 
熱狂的にハードカバーを振りかざす彼女たちの熱い視線の先で村上春樹が、
 
「3階席、イェー!」
 
と言っていたのでした。言ってないけど。
続けて、
 
「アリーナ!」
 
とかマイク向けられても五月蠅えなにがアリーナだどちくしょう、と思ったわけでした。
言ってないけど。
凶器となった鈍器はあのハードカバーだ。じっちゃんの名にかけて。
 
 
  
そんなあんばいで、彼女たちが憎けりゃ村上春樹もアレなわけで。 
 
あ、どうでもいいけど長いこと私は、村上春樹の顔を石田衣良の顔で想像していました。なんででしょうね。
いま検索してみたら、むしろ田中芳樹に似ている気がします。そうと知っていたら、もう少し早く読んでたでしょうに。(そいつはどうかな。

 
まあともかくも私は、20年以上、村上春樹忌避者として逃亡生活を送ってきたのです。誰にも追われてないけど。
 
 
思えばこの20有余年間、
 
愛するオーケンのエッセイかなにかで、
カノジョから「文学少女ぶりたい女の子たちのオモチャになってるけど」本当はとても良い、
とかお薦めされて、次にカノジョと会った時には、
「なんでオレ、今まで村上春樹を読まなかったんだろう」
となっている、そんなのを読んでもなお、
う、う、うるせえ読むもんかい、と頑張ったこともありました。
 
数年前から「先生と呼ばせてくださいいい!」対象である内田樹先生が、村上春樹を絶賛してても。
内田先生の本はたいがい読み漁っていながら『村上春樹にご用心』だけは、見て見ぬふりをしていました。
 
 
さて、そんな内田先生が、なにかで米原万里さんのことを褒めてらして。
前々から米原万里さんは気になりつつ、何故か読まずにいたんですが、直後ヴィレヴァンで『打ちのめされるようなすごい本』を見つけて、即買い。
 
そしたらば、ちょうど世間が村上春樹にキャーッな頃、私がキャーッしていた丸谷才一の、しかし未読であった『笹まくら』が紹介されておりました。
 
早速『笹まくら』を買い、読み、
 
……そしたらばですよ。
 
巻末の解説に、こんなことが。
 
 
村上春樹は、丸谷才一の『樹影譚』を評価した文章(『若い読者のための短編小説案内』)のなかで、『笹まくら』にも触れ、
 
 
……て。
 
ええと、あの、私、『樹影譚』が、大好きなんですよ。
 
もう、この瞬間、
 
 
積んだ……
 
 
と、思いましたとも。
 
 
なんといいましょうか、ほら、どうもいけ好かないなあと思ってる奴がいて、避けまくってるんだけど、でも周囲には評判が良い。
「あいつ良い奴だよ?」「面白い奴だよ?」とか言われるんだけど、どうもこうもムシが好かない。 
そんなあるとき、
「そういやあいつ、『オネアミスの翼』マジ好きって言ってたんだけど、観たことある?」
 
 
……なんですと?
 
  
うん、そういうことなら話は別だ、今すぐ奴をここへ呼べ、いや私が出向く、出向いて全力でハグするから!
 

……みたいな?
 
 
もうホントそういうことなら話は別だ、みたいな?
 
 
いやいや、しかしなにしろただの抜粋ですし、なにかしょうことなしに『笹まくら』について書いたのかもしれないし、というわけで、読みました。
『若い読者のための短編小説案内』村上春樹
 
あ、すいません。
文庫本のための序文と、まずはじめに、と、あと『笹まくら』についてのパートしか読んでません。
 
まえがき文を読んでいて、なんかこう、太宰に似てるな、だったら小説もアレルギー反応起こさず読めるかな、なんて思って読んでたら、
 
僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説的な小説はほぼ駄目でした。太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした。そういう小説には、どうしても身体がうまく入っていかないのです。
 

なんて書いてあって、ぷはっとなったことは内緒だ。
さらに『女のいない男たち』のまえがきを読んでいて、やっぱり太宰に似てると思ったことも内緒だ。

まあほらそこは、『人間失格』を表紙買いで3冊買いながら読んだ記憶がすっぽり抜けてるような私のことですからね。太宰で一番好きなのは『お伽草紙』ですからね。
寝言だと思ってください。いや起きてますけど。


で、まあその。
実はまだ、村上春樹の小説は読んでおりませんのです。

うっかりするとこの記事も、『笹まくら』に打ちのめされた話と『樹影譚』レビューになりかねない。

そんなつい最近まで村上春樹忌避者であった私に、じゃあこれを読んだら? というおすすめがありましたら、ぜひ。

本日はご訪問ありがとうございます。

 
 
    何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる    西行





 
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2013年11月23日 (土)

帰り道を変えてみた。

駅から家までの近道に、通るには気の進まない場所があります。

住宅展示場。

きらきらしいけどがらんどうの、誰も住まない暗い窓の家々が建ち並ぶ中を、薄暗い時間帯に通り抜けるのは、どうも良い気持ちではないんです。
ひとの気配のない空間に、昼間、夢や憧れや、あるいは現実的な勘定を胸に訪れたひとたちの、さまざまな想念が漂っているようで。

気にあてられる、とでも言うのでしょうか。
そこを通ると、ざらつくヤエムグラの葉っぱを髪や服、自分では見えにくいところにくっつけてきてしまうような。
これからの季節はクリスマスの飾りつけもされるのですが、それでも何だか、できれば通りたくない。

とはいえ、広い展示場の敷地をぐるりと迂回するのも現実的ではなく、実際のところ、通り抜けが禁止されているわけでもありません。駅からの人の流れは、そこを突っ切っていきます。

手術で甲状腺を全摘する前、冷えとりを始める前までは、私も、いやだと思いつつも、それが普通だろうと、通ってはいました。
仕事に復帰して、しばらくはまた、そこを通ってはいたんですけども。

冷えとりを始めてから、毒気というものを気にするようになりまして。

また、以前は自分がいやだと感じても、ほかの人がそうではないなら自分の感覚が間違っているのだろうと考えがちでしたけど、

帰り道くらい、自分の感覚に従っていいよねえ?

と思いなおして、ここ数ヶ月、その展示場を迂回して帰っています。

これが、大変清々しくてですね。

今では迂回ついでに、美味しかったケーキ屋さんの前、店員さんの感じがよかったコンビニの前、昼間は新鮮な野菜とお客さんでにぎわう農協の前などなど、通ると自分の気持ちがほっこりする場所を選び、どうも気持ちの良くない場所は避けて、帰っております。

職場から、家事育児というもうひとつの職場へと向かう道ですが、このようにしてから、歩く一歩一歩ごとに昼間ためこんだ毒気が体から抜けていくような、体があたたまってくるような、とても良い感じなのです。

そういえば、息切れしにくい、疲れにくい体になってきたし、体調もすこぶる良いようです。

良い気のしないところは避け、気分の良くなるところを選んで通る。

変えた習慣はそれだけで、そんな効果を期待したわけではまったくありませんが、確かに何だか、とても良い変化があったと言えそうです。

まあ、さすがにひとつ、難点はあるのですが。

通る場所の選り好みの結果、夕飯の支度までに帰宅するため、毎日通常ルートの1.5倍の道のりを競歩ペースで歩いてるんです
最初はさすがに息切れしましたけど、気の良いところを通っているおかげか、今ではちっとも疲れませんがね☆

 
…………。

 

………………………。

 

……うーむ。いまいち。

小咄として、出来が良くない。オチがわかりにくいし。
誇張とかも足りないかしらん。つか、長いか。

 

ええ、いったい何なのかといいますと、

例えば先程の話、
 
「最近疲れにくいんだよねえ。毎日駅から家まで歩いて帰るんだけど、近道を使わないで遠回りして、早足で歩くようにしてるから、ちょっとした運動になってるおかげみたい。まあ元々は、近道が何だか薄気味悪い場所だから、通るのをやめたのがきっかけなんだけど」
 
太字の部分を、最初に話さずオチにして、小咄に作り変えてみた、という。
そんな感じのテクニックが書かれています。
 
確かに同じ話であっても、切り出し方で様子が変わるものです。
薄ら怖いので通るのをやめた近道の話も、
 
「エクササイズする時間がない?
 大丈夫!
 駅から家までバスや自転車を使うのをやめて、早足で歩くようにしてみて!
 家が駅近で、充分なエクササイズになるほどの距離がな~い(泣) という場合は、遠回りしてみるのもgood!
 痩せたらここのケーキを食べるんだ~、なんてご褒美にする予定のケーキ屋さんの前を通ることにしてみるとか、色々工夫してみてね☆
 効果はひとそれぞれだけど、一ヶ月続ければ体調の違いを必ず感じられるはず♪」
 
なんていううっとうしい風にもできる。やりませんけど。
 
 
手帳術や冷えとり関係の検索ワードで訪問される方が多いのですが、ほとんど参考になる記事は書いておりません。
そりゃもう誰かのためになる記事が書ければ一番いいのですけど、どちらかというと、日々のやくたいもない話を、誰かにくすりと笑ってもらえたらいいなあ、というのが当ブログのコンセプトでして、
つか、そういう風にしか書けない。
 
先程の本、実は読むのは2度目です。
月並みな日々の話を、小咄にして笑ってもらえたらなあと、そんなことばっかりに熱心なわけで。
 
そんなこんなで、ほぼ日手帳カズンの「私はこんな風に使ってます」記事、
誰かの参考になりそうな記事は、どうも筆がすすまないのです。
 
つまりこれは、言い訳の記事なのでした。
何卒ご容赦。
 
 
本日はこんなところへご訪問ありがとうございます。
 
 
 何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる     西行

 

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